松明殿稲荷神社 木食上人

悪霊祓い

今日は、七条大橋にある「松明殿稲荷神社」です。「松明」は当然「たいまつ」ですよ。京都では「火」を使った行事というのはあまりないのですが、この神社は「松明」が神社の顔だったんですね。

「松明殿稲荷神社」は平安時代の天暦2年(948年)に創建されました。当時は「黒門通り塩小路」をさがった「古御旅町」の付近にあったそうです。もうほとんど「大宮八条」に近いところです。「古御旅町」の隣には「境内町」という名前もあり、この辺りだなと思わせてくれます。そして現在でも「堀川通り」と「JR東海道本線」の交差しているところにある「京都リーガロイヤルホテル」は「松明町」という地名です。

で、天暦10年(956年)、第62代「村上天皇」の勅(みことのり)により、篝火(かがりび)などを焚いて悪霊を祓う神事である「燎祭(りょうさい)」が行なわれた時に、「炬火殿(たいまつでん)」の号を下賜されました。

その後、弘長年間には「七条通り東洞院」にあり、「応仁の乱」の後には鴨川西七条の北や七条通高瀬川西畔等を転々として遷移しており、江戸時代の「加茂流域図」においては貞亨~元禄年間(1684-1700)に「松明殿稲荷社」として「新日吉町(木屋町七条上ル)」に描かれています。そして、宝永8年(1711年)現在の地に遷りました。

さて、鴨川の七条大橋を目指しましょう。

松明殿稲荷神社 No2

七条河原町から東に向かって歩きます。昔からのお店もちょこちょこ残ってますね。

松明殿稲荷神社 No3

鴨川にかかる「七條大橋」の親柱です。ちょっと変わったデザインですね。

松明殿稲荷神社 No4

その「七條大橋」のたもとが「松明殿稲荷神社」です。

松明殿稲荷神社 No5

入り口にある「松明殿稲荷神社」の石票です。

松明殿稲荷神社 No6

こちらは鳥居の神額です。

松明殿稲荷神社 No7

「松明殿稲荷神社」の駒札です。

伏見稲荷大社の境外末社で田中社ともいう。
平安時代の天暦二年(九四八)に創始され、社名は、同十年(九五六)、勅により燎祭が行われた際に「炬火殿」の号を賜ったことに由来すると伝えられる。また、江戸時代に出された「都名所図会」には、伏見稲荷大社の春の稲荷祭のとき、当神社の氏子が松明をともしてその神輿を迎えていたことから、「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。
はじめ、黒門通塩小路辺りにあったが、その後、七条東洞院などを経て、宝永八年(一七一一)現在の地に移ったとされる。
大己貴命、伊弉諾命、伊弉冊命、猿田彦命、倉稲魂命を祭神とし、天智天皇像(木像)、大友皇子像(木像)を安置する。また、境内西側には、五条坂の安祥院の僧で、日ノ岡峠の改修、亀の水遺跡などで知られる江戸時代中期の僧・木食正禅養阿の銘のある手洗石及び井戸がある。

と書かれています。

松明殿稲荷神社 No8

正面に本社があります。

松明殿稲荷神社 No9

右手には、駒札にあった「木食正禅」の御手洗と井戸です。

松明殿稲荷神社 No10

御手洗の水盤。

松明殿稲荷神社 No11

「宝暦二年(1752年)夏」と書かれていますね。「木食正禅養阿上人」が、渇水に備え井戸を掘り寄進したと思われます。

松明殿稲荷神社 No12

立派な井戸石です。

「木食上人」は丹波国桑田郡保津村の出身です。幼くして父を亡くし、24歳で出家します。宝永8年(1711年)に高野山に上り、「木食恵昌」に師事し、五穀を断って木の実を食する「木食行(穀断ち:火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行)」に入り、「木食大戒」を修めて「大阿闍梨」になってます。「念仏聖」として洛中洛外の無縁墓地を回り「六字名号碑」、「日岡名号碑」を建立して供養しました。その後、「狸谷山不動院」で「木食行」に入るのですが、参詣者が絶えず、幕府の弾圧で五条坂に移ります。「安祥院」を再興、「日ノ岡峠」の改修工事、「渋谷街道」の修築工事を行い、宝暦2年(1752年)、「松明殿稲荷神社」に井戸を掘り、寄進しています。宝暦13年(1763年)、「安祥院」で即身仏になり墓塔に納められました。公共のためにつくして即身仏となって成仏するというなんともすごい人生ですね。

松明殿稲荷神社 No13

さて、拝殿の方へ。

松明殿稲荷神社 No14

昨年の台風のために一部損壊しているようです。

松明殿稲荷神社 No15

拝殿の神額です。

松明殿稲荷神社 No16

金網越しですが、本社です。鴨川沿いなので、鳥や小動物が来るんでしょうね。

松明殿稲荷神社 No17

「都名所図会」には、「七条河原松明殿」として伏見稲荷大社の春の稲荷祭の描写があります。よく見ると、「七條大橋」は2本に分かれているんですね。

松明殿稲荷神社 No18

末社の「天満宮」です。

松明殿稲荷神社 No19

「天満宮」ですから当然「菅原道真公」をお祀りしています。

松明殿稲荷神社 No20

「松明」を灯したとのことですが、現代の京都の街中ではちょっと再現はできないですかね。神秘的でいいと思うんですけど。

上にも書きましたが、昨年の台風で被害が出ています。できれば今年は大きな台風にはご遠慮いただきたいですね。昔から京都は災害の少ない都市ですが、それでもたくさんの被害が出ました。温暖化のせいなのか、近年災害の規模がだんだんと大きくなっていますね。日頃からの対策も重要ですけど、いざというときは早めに非難するという風潮をもっと浸透させないといけないような気がします。

アクセス

  • 京都市バス「七条河原町」下車、徒歩8分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする