中秋の名月
ことしも、もうすぐ中秋の名月、十五夜がやってきますね。おうちイベントが大好きな我が家でも、ススキの穂を飾って、名月を見ながら月見団子をいただきます。
いつも中秋の名月のときに思い出すのが、藤原道長が詠んだ
この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
という歌です。
この歌は中秋の名月に詠われたのではないのですが、寛仁2年(1018年)、後一条天皇に入っていた女御の威子(いし:道長の三女)が中宮となりその祝宴で満月を見ながら詠まれた歌です。太皇太后彰子、皇太后妍子、皇后威子と三后(さんこう)を道長は自分の娘で独占し、”望月の欠けたることもなし”だったのでしょう。
今回は、この歌が詠まれた祝宴を開いた土御門第跡を訪ねます。
京都御苑の北東部
いつも丸太町通りを通っていますので、私はそちらから入って、京都御苑の中をゆっくり歩きました。京都市バスで行くのならば、河原町通りの「府立医大病院前」が一番近いです。
朝の堺町御門です。静かな京都御苑です。
ほぼ人がいません。たまにジョギングの人や自転車の人が通る程度です。
土御門第跡は京都御苑の北東部にあります。この邸宅はもと土御門左大臣源雅信(みなもと の まさざね)の邸であり,雅信の娘である倫子(りんし)と道長が結婚した時から倫子の住む土御門殿に道長が同居するようになりました。道長は邸宅をあちこちの持っていたのですが、道長の地位,権勢の上昇とともにその本邸として重要な位置を占める邸宅になりました。
平安京の土御門大路南,京極大路西にあり東西一町,南北二町を占めるという大きさで、土御門京極殿,上東門第,京極殿とも呼ばれました。
とっても広く、手入れが行き届いた草地です。レジャーマットを広げて木陰でゆっくりするととても気持ちよさそうです。
邸宅の跡は何もありませんが、具合よく木々が植えられていて、平安時代の高級住宅街を想像するにはいいところです。
願わくば、ここでお月見をして道長の気分を味わってみたいですね。
アクセス
- 京都市バス「府立医大病院前」下車、徒歩5分