葛野大堰 秦氏がんばる

 暴れ川だった葛野川

嵐山の中心となる渡月橋。橋から上流は大堰川(おおいがわ)、下流は桂川と呼ばれています。太古の昔は葛野川(かどのがわ)と呼ばれていました。大堰川と呼ばれるのは、5世紀後半に、豪族の秦氏が山背国葛野郡(現:京都市右京区太秦)に移り住み、葛野川に大きな堰(せき)を築いたためです。

なぜ、ここに大きな堰を作ったのかというと、葛野川の水を洛西の方に流すための水路を造成し、田畑を開拓したのです。古代の堰は貯水ダムとして働きました。堰で水をせき止めて貯水し、流れとは別の水路を設けることによって水量を調節し、たびたび起こった洪水を防ぐとともに農業用水を確保することができました。これにより嵯峨野や桂川右岸が開拓されました。

葛野大井 No2

葛野大井 No3

法輪寺を中興した道昌(どうしょう)が掛けたのが始まりだそうですが、当時は100mほど上流の方だったそうです。現在の渡月橋は角倉了以が掛けた橋です。

葛野大井 No4

渡月橋の駒札。

葛野大井 No5

朝は通る人も少ないです。

葛野大井 No6

現在の葛野大堰です。秦氏が作ったものとは違うのですが、川底には痕跡が残っているそうです。

葛野大井 No7

現在も、堰としての機能を果たして、洛西方面に水を流しています。昔はひと夏に1,2回保津峡で水難事故があり、その時にはボートを出してこの堰のあたりで竹ざおで川底をつついてました。

葛野大井 No8

今でも「暴れ川」の素性は持っていて、平成25年(2013年)に台風18号の影響で、渡月橋あたりが氾濫して浸水しました。その翌年にも台風でえらいことになってます。現代の技術をもってしても治水というのはなかなかうまくいかないものです。

平時は静かな水面を見せてくれる大堰川です。渡月橋を渡るときには、橋の上から真下の川の流れを眺めてください。

アクセス

  • 京都市バス「嵐山公園」下車、徒歩3分
  • 京都バス「中の島公園」下車、すぐ
  • 阪急電鉄嵐山線「嵐山」下車、徒歩10分

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