法勝寺跡 六勝寺跡巡り その6

 あまり観光客の来ない法勝寺跡

「六勝寺跡」巡りの6番目は「法勝寺跡」です。「六勝寺跡」としては一番最後の紹介になります。

「法勝寺」は白河天皇の御願寺で、承保2年(1075年)に造営をはじめ、1077年(承暦元年)に毘廬舎那仏を本尊とする金堂の落慶供養が執り行われました。この「法勝寺」は「白河院」にあり、その「白河院」というのは、もともと藤原良房(よしふさ)の別荘で、北家(ほっけ)藤原氏によって代々受け継がれてきたのですが、藤原師実(もろざね)の時に「白河天皇」に献上され、以後「白河院」として知られています。「法勝寺」は広大な敷地に金堂、講堂、阿弥陀堂などの諸堂が立ちならび、なかでも永保3年(1083年)に立てられた高さ約80メートルとされる、池の中島の「八角九重塔」は壮大な高塔であったと言われています。

しかし「八角九重塔」は文治元年(1185年)の大地震により大半は倒壊し、承元2年(1208年)には落雷により焼失、さらに康永元年(1342年)の火災で残る堂舎もことごとく焼失してしまいました。のち一部再建されましたが、応仁の乱以後は衰退の一途をたどり、やがて廃絶しました。

「法勝寺」は六勝寺のうち最初に建立されたお寺で、最大のものでした。

法勝寺跡 No2

京都市動物園の北側の「二条通り」です。

法勝寺跡 No3

京都市バス「岡崎法勝寺町」のバス停です。

法勝寺跡 No4

その「岡崎法勝寺町」のバス停のすぐ東に「法勝寺跡」すなわち「白河院跡」があります。なにやら、石票、駒札が林立していますね。

法勝寺跡 No5

現在の「白河院」です。

法勝寺跡 No6

現在は「京都 白河院」という、日本私立学校振興・共済事業団の運営する旅館となっています。庭園が京都市指定名勝となってます。

法勝寺跡 No7

「白河院」の案内です。隣の外灯が良い雰囲気ですね。

法勝寺跡 No8

この木の柱は「京都 白河院」の案内です。

法勝寺跡 No9

現在の「白河院庭園」の説明書きです。

法勝寺跡 No10

で、こちらが今回の目的である「此附近 白河院址」の石票です。

法勝寺跡 No11

そして「白河院並びに法勝寺跡」の駒札です。

法勝寺跡 No12

「法勝寺」の駒札の横に「諸九尼湖白庵・幻阿蝶夢五升庵址」の石票です。

私は俳句にはとんと疎いので、ネットなどで調べました。「諸九尼(しょきゅうに)」は,九州出身の俳人で,俗名は「なみ」というそうです。佐賀県の庄屋・永松万右衛門の妻でしたが、寛保3年(1743年)ごろに俳人「有井湖白」と駆け落ちして大坂に住み,宝暦5年(1755年)ごろに京都五条に移住しています。宝暦12年(1762年)の夫・湖白の没後に剃髪し,「諸九尼」と称しました。幻阿蝶夢(げんあ ちょうむ)と親しく,諸国遊歴を好んだひとだそうです。
「幻阿蝶夢」は,芭蕉復興運動の中核的な役割を担った俳人だそうです。もとは寺町の阿弥陀寺の住職でしたが,明和3年(1766年)に住職を辞し,明和5年この地に「五升庵」を結んで隠棲したそうです。

その他、二条通りを挟んだ南側の「京都市動物園」のなかに、「法勝寺池の汀跡の碑」や「法勝寺 九重塔址」の石票などがあるようです。「八角九重塔」は現在の動物園では「観覧車」のあるところのようですね。あのかわいい「観覧車」は京都民なら子供のころに一度は乗ったことがあるのではないでしょうか。だいぶんと古いものですが現在も毎日運用されているようですね。

アクセス

  • 京都市バス「岡崎法性寺町」下車、すぐ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする