若州小浜藩邸跡 大政奉還を決意する

灯籠しか残っていませんが...

通学や通勤でJR二条駅をよく利用していました。今は通勤経路が違うので、遊びに出かける時ぐらいしか利用しませんが、駅に行くと何か懐かしい気分になりますね。そのJR二条駅の近くに史跡に行きましょう。

目指すのは「若州小浜藩邸跡」です。「小浜藩」は若狭から越前敦賀郡までの一円を支配した大きな藩です。最初は「京極家」が治めたのですが、出雲・隠岐松江藩へ移封された後は、武蔵川越藩の藩主だった「酒井忠勝」が入ってきます。江戸時代を通して「酒井家」が治めていました。ただ、「酒井忠勝」の後は大洪水や飢饉に襲われ、一揆が起こるなど藩政はあまり安定しないようでした。そんな中で。幕末期の第12代藩主・並びに第14代(最後)の藩主となった「酒井忠義」は、「京都所司代」として有名な人物です。彼は「井伊直弼」に協力して「安政の大獄」を京都で積極的に推し進め勤王の志士を一網打尽にしました。また「和宮降嫁」や「公武合体」、「水戸天狗党の乱」の鎮圧などで手腕を発揮しています。

この「小浜藩」の「京都藩邸」は京都所司代である「酒井忠義」の本拠地としてだけではなく、将軍後見職「一橋慶喜」が最後の将軍として二条城に入るまでの3年10ヶ月を過ごした場所であり,この期間に「大政奉還」ということを構想した場所とされ、歴史上とても重要な場所なのです。

では行ってみましょうか。

若州小浜藩邸跡 No2

JR二条駅の東のロータリーは千本通りに面していますが、その交差点から東に歩き、最初の信号がこの交差点です。私が歩いているのは「御池通り」なんですけど、この交差している道路は何通りなんでしょうかね。不明です。

若州小浜藩邸跡 No3

さて、その交差点を超えてもう少し東に行くと見えてきましたよ。日の丸の国旗のところです。

若州小浜藩邸跡 No4

これ「若州小浜藩邸跡」の石碑です。この細い通りは「矢城通り」というそうです。

若州小浜藩邸跡 No5

後ろに立っている燈籠は「小浜藩邸」の遺構として町内に残っていたものだそうです。

若州小浜藩邸跡 No6

灯籠の後ろに「若州小浜藩邸」の説明書きがあります。この中に、敷地は東西が「神泉苑町通り」から「智恵光院通り」までの220m、南北が「御池通り」から「三条通り」までの260mで、さらに西側に家臣の屋敷があって、全体で2万坪の広さがあったと書かれています。

東西は「智恵光院通り」と「神泉苑町通り」の間と記述がありますが、現在「智恵光院通り」は「竹屋町通り」の二条城の北の堀端までです。で、その延長を南に来ると、先ほど書いた「矢城通り」となっています。このすぐ横の通りですね。

この「若州小浜藩邸跡」は史跡としては全然世の中に知られていませんが、「一橋慶喜」が「大政奉還」の布告という大きな決断をこの地で構想したのですから、もっと世に知らしめられてもいいのではないでしょうか。

アクセス

  • 京都市バス「神泉苑前」下車、徒歩2分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする