平安宮造酒司倉庫跡 宴会好きな平安貴族

やっぱり宴会場の近く

毎日通勤で通る丸太町通り。仕事帰りは錦林車庫のバス停から錦林車庫発のバスに乗ります。ほぼ確実に座れるのですが、疲れもあってバスでは居眠りをしていることが多いです。ほんでもって、いつも「丸太町七本松」辺りで目が覚めます。

で、今日は前から一度見てみようと思っていた「平安宮造酒司跡」を訪れようと、「丸太町七本松」でバスを降りました。

平安宮造酒司倉庫跡 No2

「丸太町七本松」のバス停で降りましたが、目的地はちょうど反対側(北側)でした。目の前なのですが「わたるな危険!!」と看板が立っているので横断歩道まで行きましょう。

平安宮造酒司倉庫跡 No3

少し離れていますが、横断歩道で反対側にわたりました。

平安宮造酒司倉庫跡 No4

目的地は「京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)」の敷地の中です。ここには「京都市平安京創生館」という、とてもワクワクとするような平安京にまつわる施設があるのですが、午後5時までなので、本日はもう閉まってしまっています。

平安宮造酒司倉庫跡 No5

中庭のようになったところです。上の画像の正面に駒札や石票がありますよね。それに目を奪われるのですが、その前にちょっとまって、よく画像を見てください。

地面にサイコロの1の目の様な模様がたくさんありますよね。ほんでもって、なんか真っすぐそろってないですよね。施工業者のミス?何かのお遊び?

実は発掘調査で発見された「高床式倉庫」の柱跡の位置なんですよ。昭和52年(1977年)から発掘調査が行われ,多くの遺構・遺物が見つかりました。昭和53年には上の画像の「高床倉庫の柱跡」が見つかっています。

平安宮造酒司倉庫跡 No6

「史跡平安宮造酒司倉庫跡」の石票です。

平安宮造酒司倉庫跡 No7

「造酒司」は「みきのつかさ」「さけのつかさ」「ぞうしゅし」などと読み方は色々です。1町(約120m)四方の範囲を占めていました。

平安宮造酒司倉庫跡 No8

なんかいろいろとありますね。「北山杉」とかまでありますよ。

平安宮造酒司倉庫跡 No9

昭和52年の発掘調査の記念碑です。「造酒司」とは読んで字のごとく、お酒を造るところです。酒や醴(あまざけ)、酢などの醸造を行っていました。宮中の儀式や宴会で使われるお酒を造っていたので「役所」だったんですね。律令制では宮内省に属していました。当時の平安宮は「節会(せちえ)」と称しては季節ごとに宴会を執り行うという、なんともうらやましい貴族社会だったんですね。それも宴会が立派な仕事という、輪をかけてうらやましい社会でした。でも、国家の中枢たるところなので、あんまり羽目を外すわけにもいかなかったのでしょうから、堅苦しい酒宴だったのかもしれませんね。

当時、お酒を造るということはとっても重要なことで、技術を高めることも求められたのですが、国家統制をしようと試みて、一般庶民が作れないように規制をかけたりしています。でもそんな規制が守られるわけもなく、庶民もお酒を造って飲んでいました。

「造酒司」は当時の国のお役所ですから、最高の粋を極めて、一番おいしい酒づくりの技術を持っていたものと思われます。ここは「倉庫跡」ですから、原料としたお米を貯蔵していたか、または出来上がったお酒を貯蔵していた場所だと考えられています。

この遺構のもう少し東には「豊楽院(ぶらくいん)」という、平安宮の一大宴会場の遺構もあります。「豊楽院」は国家的な大宴会場でしたし、「造酒司倉庫」も近くに建設されたのですね。足りなくなってもすぐに持ってこられますからね。

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施薬院協会

平安宮造酒司倉庫跡 No10

「施薬院協会跡」の碑です。「施薬院」とは奈良、平安時代の貧民救済のための医療施設です。明治30年(1897年)に「安藤精軒」が同じ名前の私立病院を知恩院内の法徳院に開設して,慈善事業として無料診察をしていましたが経済的に行き詰まるところとなってしまいます。そこで明治36年(1903年)に京都府・京都市・京都医会が合同で「施薬院協会」を設立し,知恩院内の「入信院」で治療を行うようになりました。その後,大正4年(1915年)には病院跡であったこの地に移転しました。昭和16年(1941年)に「厚生病院」と改名しましたが,太平洋戦争中に政府によって医療施設の強制買い上げがなされ,昭和19年10月に幕を閉じました。戦後,ここは「京都市立中央病院」となりましたが,昭和56年(1981年)に「社会教育総合センター」となり、現在は「京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)」となっています。

私に記憶の中には「京都市立中央病院」として残っている場所です。移転してからはお世話になることもなく、この場所は京都アスニーになってからは初めての訪問です。

平安宮造酒司倉庫跡 No11

「造酒司」として始まったこの地も、いろいろな変遷を経て、現在は生涯学習センターや図書館となっています。京都アスニーは歴史好きや平安京好きにはとても楽しめる施設で、面白い企画展を催しているので、ぜひ一度訪れてみてください。

アクセス

  • 京都市バス「丸太町七本松」下車、すぐ

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