六孫王神社 清和源氏発祥の宮

源経基(つねもと) ちょっと、たなぼた出世?

京都観光に来る方の多くは、JRなどに乗って「京都駅」に来られることが多いでしょう。その時には「京都駅」を中心にGoogleMapを見たりしますよね。駅近隣の検索だけで終わることもあるでしょうけど、少し表示の地域を広げると、JR東海道本線の線路が東西に走っていて、「京都駅」の少し西側で北からくる「JR嵯峨野線」が合流してます。よく見ると、嵯峨野線は京都駅方向だけではなくて、大阪方向にも線路が伸びています。

そのことによって、この部分は、なんとなくなだらかな三角形になってて、なんか不思議な空間です。こんなところを見ると入ってみたくなるのは、私だけではないと思います。この三角形の空間には、現在「京都鉄道博物館」があり、多くの鉄道ファンが訪れています。その昔は「梅小路蒸気機関車館」といって、SLが展示されており「扇形機関車庫」と「大きな転車台(ターンテーブル)」が売り物の、鉄道ファンでなくともわくわくするようなところでした。現在も「梅小路蒸気機関車庫」となっていて、懐かしのSLを見ることができます。

今年の3月には、JR嵯峨野線に「梅小路京都西駅」が開業することになっており、一段とアクセスが便利になります。実はここにはつい最近まで「梅小路駅」があったんですよ。もちろん嵯峨野線は停車しない駅だったのですが、「貨物駅」として、京都の物流を支えてきた大きな駅でした。2011年に「梅小路駅」は「京都貨物駅」と改称されて無くなってしまったのですが、8年後の今年に新駅として復活します。まだJRが「国鉄」だったころ、この三角形のところを山陰線で通ると、たくさんの線路と貨物車が見られたので、とってもわくわくしていたのを覚えています。

この三角形のところを地図で見ると、近所にけっこう神社仏閣があるんですね。今回は一番近いと思われる「六孫王神社」にお詣りしましょう。「六孫王神社」は、この三角形のところの南側にあります。

「六孫王神社」はまさに「六孫王」を祭った神社であり、「六孫王」とは「清和源氏」の始祖である「源経基(つねもと)」を指します。「源氏二十一流」の中で最も栄えた「清和源氏」の故郷といえますね。

「源経基」は平安時代中期の武将です。「源経基」は、第56代「清和天皇」の第6皇子「貞純(さだずみ)親王」の1子を父として生まれ「経基」と名づけられたのですが、皇室では六男の「六」と天皇の「孫」ということで「六孫王」と呼ばれていました。

「清和天皇」の後には第1皇子であった「貞明(さだあきら)親王」が第57代「陽成天皇」と即位するのですが、乳兄弟であった「源益(まさる)」が殿上で殴殺されるという事件が起き、宮中の殺人事件という未曾有の異常事がおこります。この事件に「陽成天皇」が関与したという風説から、「陽成天皇」は「基経」から迫られ退位しました。この事件により、「陽成天皇」はもとより、「清和天皇」の皇子や孫は、中央政界での出世の道が閉ざされてしまい、「貞純親王」は権力の中枢から外れ、「経基」は「武蔵下野介」となり、関東に下ります。

関東に下った「経基」は、天慶2年(939年)土豪の足立郡郡司「武蔵武芝(たけしば)」と争いになります。「平将門」の仲裁が入るのですが、武芝の兵に包囲され、将門らに討たれると危惧して京都へ逃れ謀反の訴えをします。ところが将門らが5カ国の国府の「謀反は事実無根」との証明書を摂政「藤原忠平」へ送ると、将門らの申し開きが認められ、逆に「経基」は讒言の罪によって「左衛門府」に拘禁されてしまいます。この争いのもとは、「経基」らが地域の習わしを破って、収奪を目的とし足立郡内に進入してきたことが原因のようです。これは、まぁ仕方がない事の成り行きかと思うのですが、ここから話は「経基」にとってまさかの展開となります。

同年11月、将門は常陸介「藤原維幾」と対立が高じて合戦になり国府を襲撃・占領し朝廷に対して反旗を翻すことになってしまいました。また、12月には上野国府にて「新皇」を僭称して勝手に坂東諸国の除目(諸官を任命すること、 またその儀式自体である宮中の年中行事を指す)を行うまでになります。ここに来て、以前の誣告が現実となった事で「経基」は晴れて放免されるばかりか、それを功と見なされて「従五位下」に叙せられました。

その後、征東大将軍「藤原忠文」の副将の一人に任ぜられて「将門の乱」の平定に向かうのですが、既に将門が追討された事を知って帰京します。天慶4年(941年)には「追捕凶賊使」となり、「小野好古」とともに「藤原純友の乱」の平定に向かうのですが、ここでも既に「小野好古」によって鎮圧されており、純友の家来である豊後国の賊徒首領「桑原生行」を捕らえるにとどまります。とまぁ、あまり戦には直接参加しなかったのですが、「承平・天慶の乱」の鎮圧という功が認められ、武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任し、最終的には「鎮守府将軍」にまで上り詰めるという大出世となりました。

経基は、上記の武勲により「臣籍降下」して「源氏姓」を賜り、「清和源氏」の祖となります。社伝によると、境内は経基の邸宅「八条亭」の跡地で、応和元年(961年)に経基が臨終に際して「死んだ後には龍神となって邸内の池に住み、一族、子孫の繁栄を祈るからこの地に葬るように。」と遺言したそうです。遺言に沿って、応和3年(963年)に嫡子の「源満仲」が社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を造営したのが「六孫王神社」の創建となります。本殿の後方に現在も残る石の基壇が経基の神廟で遺骸を納めた場所であると伝わっています。

その後「六孫王神社」は荒廃するのですが、鎌倉時代、貞応元年(1222年)3代将軍「源実朝」の妻「西八条禅尼(信子)」は、境内北の西八条邸内に、亡夫の菩提を弔うために「遍照心院万祥山大通寺」を建立します。そして「六孫王神社」は「大通寺」の鎮守社となります。以後、「清和源氏」ゆかりの神社として武家の信仰を集めることになりました。

ところが室町時代、応永5年(1398年)に焼失してしまい、3代将軍「足利義満」によって再建されています。そして、「応仁・文明の乱」により再度焼失、以後、荒廃していました。

時が流れ、江戸時代、元禄14年(1701年)、「徳川綱吉」の時代に再建が始まり、正一位の神階と権現号を授かります。翌元禄15年(1702年)「大通寺」の「南谷照什(なんこくしょうじゅう)」が、「水戸光圀」を動かして幕府に再建を請い、清和源氏宗家を自任した徳川将軍家の援助を得て本殿などを再建しました。その時の社殿や唐門が現在の「六孫王神社」です。

「大通寺」は広大な境内を有していたのですが、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、「六孫王神社」は「大通寺」より分れ、明治44年(1911年)「大通寺」境内への国鉄線路敷設工事にともなって、「大通寺」は西九条(現在地)に移転し、「六孫王神社」のみが残されることになります。そして、昭和39年(1964年)東海道新幹線敷設工事にともなって、「六孫王神社」境内はさらに縮小されてしまいました。

交通の大動脈に近い場所なので致し方ないのかもしれませんが、「龍神」となった経基も、いたたまれない気分なのではないでしょうか。

六孫王神社 No2

「六孫王神社」の境内の入り口です。一番目につく東南角の入り口で駐車場にもなっています。

六孫王神社 No3

「六孫王神社」「清和源氏発祥の宮」と大きく書かれています。

六孫王神社 No4

こちらは東の入り口です。一の鳥居があります。

六孫王神社 No5

敷地の北は「六孫王会館」という建物です。氏子さんが多いのでしょう。立派な建物です。

六孫王神社 No6

まっすぐ進むと、弐の鳥居です。

六孫王神社 No7

龍神になった経基が住むという「神龍池」の「恋のかけ橋」を渡ります。ここは桜の名所としても有名です。境内で4月中旬に開花する「御衣黄(ぎょいこう)桜」という八重桜は、花弁が薄緑色をしている珍しい品種です。「御衣黄」というのは天皇即位の衣装の色から名付けられたものです。雌蕊が象の鼻のようであることから名付けられた「普賢象(ふげんぞう)桜」という桜もあります。これは春に訪れないといけないですね。

六孫王神社 No8

「唐門」です。上にも書きましたが、江戸時代の1702年に建立されたもので、京都市の指定文化財に登録されています。

六孫王神社 No9

「六孫王神社」の神額です。

六孫王神社 No10

菊の御紋の御神灯です。

六孫王神社 No11

「唐門」から見た「拝殿」です。

六孫王神社 No12

「清和源氏」の祖、「六孫王大神」にお詣りします。

六孫王神社 No13

絵馬は兜ですね。

六孫王神社 No14

「神馬」です。

六孫王神社 No15

駒札です。

六孫王神社 No16

神庫です。

六孫王神社 No17

手水舎です。

六孫王神社 No18

「神龍池」の南半分は庭園風にしつらえてあります。子孫繁栄を祈って「龍神」になった経基のおかげで、「清和源氏」は源氏二十一流の中でもっとも繁栄したので、子孫繁栄の御利益は大きいと思います。

六孫王神社 No19

雲井なる人をはるかに思ふには わが心さへ空にこそなれ

「拾遺和歌集」に収録された経基の歌です。

六孫王神社 No20

哀れとも君だに言はば恋ひわびて 死なむ命も惜しからなくに

こちらも「拾遺和歌集」に収録された経基の歌です。

六孫王神社 No21

今日もいいお天気です。桜の季節に再訪しましょう。

六孫王神社 No23

南側の入り口です。

六孫王神社 No24

鳥居も建ってます。周辺の開発とともに規模の小さくなった「六孫王神社」ですが、それでもまだ境内は広い方でしょう。京都駅の南側ということで、観光の方が大挙して押し寄せていることもなく、静かな京都を感じられるところです。

「清和源氏」始祖の「源経基」を祭神とする神社は他にもあり、「多田神社(兵庫県川西市)」、「壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)」とともに「源氏三神社」と呼ばれます。

今回は、源氏ゆかりの旧跡でしたが、京都には朝廷があったので、平氏ゆかりの旧跡も近くにあったりして、とても面白いです。

アクセス

  • 京都市バス「六孫王神社前」下車、徒歩1分

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