御蔭神社 BC581年からと伝わる御生神事

2600年前の京都って?

下鴨神社の南側から東に向かって「御蔭(みかげ)通り」という道があります。何とも奥ゆかしい名前ですよね。この名前の由来であろう「御蔭山」にある「御蔭神社」を紹介します。

「御蔭神社」は「下鴨神社」から少し離れた比叡山の山麓にあります。山麓と言っても、比叡山の登り口である、叡山電鉄「八瀬比叡山口」の南西側になります。「御蔭山」の入り口といった感じです。

八瀬は観光地なので、紅葉や「瑠璃光院」目当ての観光客がたくさん訪れますし、ケーブルカーで比叡山に上る方もたくさん訪れます。でも「御蔭神社」の参詣を目的に八瀬を訪れる人はほとんどいないのではないでしょうか。「御蔭神社」がにぎわうのは5月15日の「葵祭」に先立って、5月12日に「下鴨神社」で行われる「御蔭祭り」のときです。

「御蔭山」は「御生(みあれ)山」とも呼ばれる、「下鴨神社」の「神体山」とされています。この地は、賀茂の大神の降臨地といわれ、「玉依日売命(たまよりひめのみこと)」が「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」を産んだ「産屋(うぶや)」として、「御生山(みあれやま:みしょうやま)」と呼ばれたとも伝わります。

「御蔭神社」の創建はとても古いので、記録には残っておらず、変遷も不明です。ただ、「御祖神社御事歴以下明細調記」(社伝)によると、古墳時代のBC581年から「御生神事」が始まったとされており、相当な歴史のある神社であることは間違いありません。

「御蔭神社」で行われる「御蔭祭」も歴史が古く、鎌倉時代の末期には「御蔭山御行」として記録が残っています。その後、何回か中断することもありましたが、復活を遂げて現在に至ります。また境内は、もともと西の方に30mほど言ったところの低地にありましたが、台風や地震に被災して社殿が流出するなどしたので、現在地に遷されています。

さて、前置きはこれぐらいにして、「御蔭神社」に行きましょう。

叡山電鉄「八瀬比叡山口」から歩いてもいいのですが、付近を散策しながら参詣しましたので、反対側の花園橋方面から歩きます。

御蔭神社 No2

叡山電鉄の線路沿いを東に向かって歩くと、山が迫り「御蔭神社」の標識が見えてきます。

御蔭神社 No3

「御蔭神社」の説明書きです。

御蔭神社 No4

どんどん歩いていくと、南に向かう分岐があります。まっすぐ行くと「八瀬比叡山口」の駅に行ってしまうので、南(山の方)に向かいます。

御蔭神社 No5

少し歩くと、またまた分岐がありますが、当然、鳥居の方に行きます。

御蔭神社 No6

歴史の感じられる説明書きです。

御蔭神社
この社地は、太古鴨の大神が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれており、東山三十六峰第二盤目の山である。
さらにまた、太陽のただ射す所、即ち、御蔭山とも呼ばれそれに因んで社名ともなった。
御祭神は、御本宮賀茂御祖神社の御祭神の玉依媛命、賀茂建角身命、二柱の荒魂を奉祀されている。
現在の社殿は、元禄六年(一六九三)、御本宮式年遷宮の 際に造替された。
それまでは、現在の本殿北東の麓に鎮座されてきたが、地震等の 災害に依って殿舎が埋没したため現在の地に御動座になった。
天武天皇六年(六七七)、山背國司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、当神社であろうとの説があるとおり、この地は古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には数々の遺跡が存在する。
毎年、賀茂祭(葵祭)に先だって、五月十二日には、御蔭祭(御生神事)が当神社で行われる。当日は、神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾、太刀、 弓、槍などの御神宝を捧げ持ち、社殿には阿礼(あれ)を掛ける。数多くの供奉者は葵桂をかざし、本宮を進発した行粧は、この社に 到着する。社前において、午の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に 遷御になる。途中、総社における路次祭、御本宮契の神事等が行われる。
朝廷からは、阿礼料や幣が奉献されるなど鴨社創祀の祭とされてきた。また、神馬の御神前で行われる三台塩(三代詠)を中心とする神事 芸能は、わが国最古の祭儀式を伝えるものとされ、行粧もまた最古の神事列と伝えられており、葵祭と並ぶ優雅な行粧として 名高く、室町時代に入ると数々の史料に登場する。
現今、道中は交通繁雑のため、やむなく自動車列とはなったが、当神社、並びに御本宮糺の森での神事は 古儀に依って厳粛に行われている。
賀茂御祖神社

と書かれています。

御蔭神社 No7

参詣道を歩くとすぐに石垣が見えてきました。本社はあの上です。

御蔭神社 No8

さすがに立派な石垣ですね。

御蔭神社 No9

なんでしょうか? 儀式の道具? 御手洗?

御蔭神社 No10

階段を上ると本殿が見えました。こういう森の中の神社を見ると、厳粛な気持ちになります。いつものごとく、私以外誰もいません。時間が止まっているように静かです。

御蔭神社 No11

ここにも説明書きの駒札があります。どのような理由で、この八瀬の地で祭祀が始まったのでしょうか。太古の昔に、ここで「鴨の大神が降臨された所」とされるような出来事が起こったのでしょうか。今、自分がそのような土地に立っていることが、何か特別なことでもあるかのような感覚になります。

「御生神事」は「綏靖天皇の御代(BC581)に始まる」と社伝などには記述があるようですが、「綏靖天皇(すいぜいてんのう)」は神武天皇29年に生まれ、綏靖天皇33年5月10日まで即位されていた、日本の第2代天皇とされており伝説上の人物です。ちなみにBC581年は綏靖天皇元年にあたります。

今年が平成31年、西暦2019年ですから、ちょうど2600年前に始まったということですね。2600年前の京都ってどんなんだったのでしょうか。平安京ができるのだって、ここから1300年以上経ってからですものね。

御蔭神社 No12

拝殿前に来ました。

御蔭神社 No13

東殿の「玉依日売命(たまよりひめのみこと)」の荒御魂(あらみたま)を祀ったお社です。

御蔭神社 No14

西殿の「賀茂建角身命」を祀ったお社です。

「御蔭祭」は日本最古の祭儀式であり、当日は午前中に「下鴨神社」からの行粧を整え「御蔭神社」に向かい、「荒御魂」を迎えて「下鴨神社」に遷御されます。「葵祭」に先立ち、本殿のご神体に神威を込めるための重要な祭儀です。「御神霊」は榊の御生木に宿り、「神霊櫃」に納められて「御蔭神社」を出発します。途中、祭列は「賀茂波爾(かもはに)神社」に立ち寄り、「路次祭(ろじさい)」が行なわれます。

その後「河合神社」で神馬に遷され、「下鴨神社」の参道では優雅な舞「東游(あずまあそび)」で知られる「切芝神事」が執り行なわれます。そして「下鴨神社本殿御錠」に「御生木」が挿されます。「荒御魂」は「御生れ」となり「下鴨神社」の「和魂(にぎみたま)」と合体して再生します。

毎年、「御蔭祭」、「葵祭」と繰り返されてきました。「葵祭」は京都の三大祭として有名で、メディアに登場することも多いですが「御蔭祭」は、あまり知られていませんので、興味ある方は5月12日にご覧になってください。今年の5月12日はちょうど日曜日なので都合がいいと思われます。

アクセス

  • 叡山電鉄「八瀬比叡山口」下車、徒歩15分

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コメント

  1. 小松隆志 より:

    最後の写真の説明に『西殿の「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」の荒御魂を祀ったお社です。』とありますが、「賀茂建角身命」の誤りです。早急に訂正願います。別雷命は上賀茂さんです。

    • Jun@Kyoto より:

      小松隆志 様
      ご指摘ありがとうございます。謹んで訂正させていただきました。これからもよろしくお願いたします。
          Jun@Kyoto