義経大日如来 その1 「蹴上(けあげ)」の由来

 「蹴上」はなぜ「蹴上」?

古い地名には、その場所で起こった出来事が名前の由来になっていることがよくあります。もちろん、古都京都にもその名前の由来にいろいろな逸話や伝説が語り継がれている場所がたくさんあります。

その中でも、有名な「蹴上(けあげ)」の由来を紹介します。

「蹴上」には、由来がいろいろあるのですが、有名な由来が二つあります。その一つが、源九郎義経にかかわる由来です。(もう一つは粟田口刑場にまつわるものですが、またほかの機会に…)

源義経(よしつね)は、平安時代末期の武将で、鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)の異母弟にあたります。現代ではいろいろな時代小説やTVの時代劇、コミックスなどの主人公として描かれているので、多くの人の知るところでしょう。

それぞれ、作者の思い入れがあって、どちらかというとカッコよく、スマートな美男子というイメージで描かれていることが多く、そのような義経像をお持ちの方が多いと思います。2回もNHKの大河ドラマになってますし、人気があるのでしょうね。

しかし、「蹴上」の由来は、乱暴者で「切れやすい」、義経の一面を表している逸話です。

己の業を知る

義経は清和源氏の流れを汲む河内源氏の源義朝(よしとも)の九男として生まれ、牛若丸と名付けられるました。母は九条院に仕えていた常盤御前です。義朝は平治元年(1159年)、平治の乱において尾張国で長田忠致(おさだただむね)の裏切りにあい、従者の鎌田正清らとともに敗死してします。2歳の牛若丸は常盤御前と大和国(奈良県)へ逃れます。

その後、常盤御前は公家の一条長成と再嫁し、牛若丸は11歳の時に鞍馬寺へ預けられ、稚児名を遮那王(しゃなおう)と名乗るようになりました。

ある日、鞍馬寺の遮那王のもとを正門坊という一人の僧が訪れます。それは鎌田正清の子である正近(まさちか)でした。

正近は、遮那王が清和源氏の棟梁であった源義朝の子であること、父・義朝が平治の乱で平清盛に敗れ尾張国で亡くなったことなどを伝えます。

事実を知った遮那王は、平家打倒を心に誓います。

旅立ちの「蹴上」

そしてもう一人、遮那王を助けた人物がいます。奥州で産出される金を京で商う事を生業としていた商人、金売吉次(かねうりきちじ)です。吉次は義経と共に奥州へ向かい、吉次の取り計らいにより、義経は藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)と面会します。

義経は吉次の助けで鞍馬寺を出て、「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」で道中の安全を祈願してから、奥州に向けて出発しました。

一行が、日ノ岡峠の清水に差し掛かると、向こうから平家武者、関原与一重治(せきはらよいちしげはる)とその従者9人がすれ違います。この時に与一の一行の馬が跳ね上げた泥水が義経の直垂(ひたたれ)を汚してしまいました。首途(かどで)を汚された義経は激昂し、従者9人を切り捨て重治の耳と鼻を削いでしまいます。

平家打倒を目指す義経はこの出来事を、奥州に向けての首途(かどで)の吉兆だと言って喜びます。この故事にちなんで、清水と言われていた地域が、いつしか「蹴上」と呼ばれるようになったということです。

切り殺された9人を村人たちが弔い、石仏が祀られました。9体の石仏が祀られた場所は九体町(くたいちょう)と呼ばれるようになります。現在の「御料岡町」辺りだそうです。石仏は9体ありましたがそのうち6体は消失してしまい、残り3体が現在でも残っています。

そのうちの一体が、「義経大日如来」として、「蹴上」の地に祀られています。

蹴上を訪れる

京都市営地下鉄「蹴上」で下車します。そのまま山手の方(九条山方向)に行ってもいいのですが、私は少し坂を下って「ねじりまんぽ」を通ってから行きました。

義経大日如来 No2

「ねじりまんぽ」を抜けると、すぐ右手に曲がります。インクラインに沿って上がっていきます。

義経大日如来 No3

インクラインの線路です。どんどん上がっていきましょう。

義経大日如来 No4

上がり切ると、前方には橋と「旧九条山浄水場原水ポンプ室」がみえます。

義経大日如来 No5

そちらにはいかずに、右手(南方向)に折れます。垣根の間です。

義経大日如来 No6

立派な石碑があるのですが、これは疎水の石碑なので関係ありません。その石碑の隣です。

義経大日如来 No7

これが「義経大日如来」です。

義経大日如来 No8

「義経大日如来」と確認できる記述などはどこにも見当たりません。

義経大日如来 No9

扁額もありません。

義経大日如来 No10

唯一、花活けに「義経大日如来」と彫られています。

義経大日如来 No11

九条山の方を見ているようです。

義経大日如来 No12

すぐわきに「三玉大明神」が鎮座しています。

義経大日如来 No13

カッコのいい、英雄的な人物として描かれる源義経ですが、若いころは血気盛んで非常に激昂するタイプだったのでしょう。彼はこの出来事を後で思い返したときには悔んだりはしなかったのでしょうか?

現代で言えば…

この出来事は現代で言えば「泥はね運転違反」ですね。車両を運転中に水溜りの汚水や泥水を飛散させて他人に迷惑をかける行為です。

【道路交通法第71条】1.ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、泥よけ器を付け、又は徐行する等して、泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること。

交通違反の区分でいえば「一般違反行為(白キップ)」なので、行政処分はありません。反則通告制度によって、反則金 6,000円(普通自動車の場合)を納めないといけない違反です。

みなさん、「泥はね運転」には気を付けているでしょうか。今では反則金 6,000円なので、軽く見られがちですが、かけられた方の気持ちは今も昔も変わるわけがなく、相手が悪ければ切り殺されるかもしれません。何も車に限ったことではないし、自転車であれ、徒歩であれ。

現代の「蹴上」が増えないように、安全運転を。

アクセス

  • 京都市営地下鉄「蹴上」下車、徒歩3分