頂妙寺のイチョウ

 二条川東

頂妙寺(ちょうみょうじ)は、文明5年(1473年)、下総国出身の僧日祝(にっしゅう)によって、北は錦小路、南は四条通り、東は富小路、西は万里小路(現:柳馬場通り)に囲まれる場所に創建されました。

その後、目まぐるしい移転を繰り返し、寛文13年(1673年)、御所の整備に伴い、現在地の京都市左京区仁王門通りに移転しました。

「頂妙寺」の移転当時、鴨川左岸は何もないところで聖護院村や岡崎村の畑が大部分でした。宝永5年(1708年)に起こった宝永の大火の後に、多くの町屋が移ってきたことから「二条川東」と呼ばれるようになります。このころにできた道が、移転前に住んでいた地域の通りの名前からとって「新~通り」として名前を残しています。

宝永大火以前には,現在の京都御苑(きょうとぎょえん)の範囲に公家の邸宅が集まっていましたが,その間に町屋も混じっていました。その町屋を全て移転させて、公家町としたのです。そして、町屋の人々は、「二条川東」や「内野(平安京大内裏跡)」へ移転させられました。

なので、「二条川東」は、京都市内でも比較的新しい町なんですよ。

聞法山 頂妙寺

「頂妙寺」は由緒あるお寺ですが、あまり観光客の目を引くことがなく、いつも静かでいいところです。唯一、観光で注目を浴びるのは、境内のとても立派な「イチョウの木」でしょうか。

頂妙寺 No2

そらもう、見事!としか言いようがないイチョウの木です。

頂妙寺 No3

もう一つ、有名なのが、この「仁王門」。この「仁王門」が、お寺の前の通りの名前にもなっています。上の画像は、「仁王門」から、「仁王門通り」の方を見た画像です。この「仁王門」には鎌倉時代の仏師「運慶・快慶」作の「多聞天(毘沙門天:左側)、持国天(右側)」が安置されています。度重なる火災で罹災し、頭のみが当時のものだそうです。写真を撮ろうとしましたが、網があって、うまく撮れませんでした。

頂妙寺 No4

本堂です。独り占め。

頂妙寺 No5

「祖師堂」です。何かの法要が営まれていました。

頂妙寺 No6

散った落ち葉がいいですね。

頂妙寺 No7

もみじの「赤」ばかりが紅葉のように思われがちですが、イチョウの「黄」もとてもきれいです。イチョウは「黄色」になる少し手前の「淡い黄緑色」が一番輝いて見えます。

頂妙寺 No8

「仁王門」の正面です。ここのイチョウも立派です。

頂妙寺 No9

ほんとに静かな境内です。この紅葉をほとんど誰も見に来ないのは、とってももったいないですよ。私が訪れたときも、カップルが一組と3人ずれが一組だけでした。

頂妙寺 No10

日の光を浴びてきれいに輝いています。

頂妙寺 No11

イチョウばっかり取り上げていますが、境内にはもみじもきれいに紅葉してます。

今回は紹介しませんでしたが、「頂妙寺」は豊臣秀吉によって日蓮宗の布教が許された「許状扁額」や、風神雷神図屏風で知られる俵屋宗達(たわらや そうたつ)の墓があったりと、見どころのあるお寺なんですよ。

アクセス

  • 京都市バス「川端二条」下車、すぐ

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