浄住寺道標 道は変わる

歴史を見てきた道

今日紹介するのは「浄住寺」そのものではなく、「浄住寺」を示す道標です。

なんでまた、ご本尊ではなく道標なの? と疑問に思われますよね。

「浄住寺」もそのうち紹介しようと思いますが、今はそこに続く道に興味があります。

現在の地図で行くと、阪急上桂駅の前から西に真っすぐ伸びる道です。浄住寺の北をかすめて、どんどん西の方に行き、山の中に続いています。この道はそのまま進んでいくと山を越えて亀岡市まで続きます。

なにを隠そう、明智光秀公が本能寺に織田信長を討ったときに軍を進めた「唐櫃(からと)越え」という峠です。光秀公は信長に気取られないようにと3軍に分けて京都を目指します。そのうちの一隊である「明智次右衛門光忠」が通ったのがこの道だそうです。(実際は亀岡の方からこちらに向かってきた。)

以前、光秀公本人が通った「明智越え」を紹介しましたが、その時から「唐櫃越え」も通ってみたいと、ずっと思っていました。

その「唐櫃越え」を通って京都に出てくると、「浄住寺道標」の前の道を通ったものだと考えられます。

さっそく紹介します。

浄住寺道標 No2

阪急上桂の駅から西に歩いてくると、すぐに「物集女(もずめ)街道」に交差します。この交差点は「山田口」と呼ばれるています。この「物集女街道」は近世になってから整備された道だと思われます。昔はもう少し西側の道が「物集女街道」として使われていたのではないでしょうか。

もう少し西に向かって歩きます。

浄住寺道標 No3

今度は「山田岐れ」という交差点にでました。南北の道はもともと、とても細かったと思われます。この交差点から北側(写真の右側)は整備されて広い道ですが、ここから南は車の行き違いが困難なぐらい狭い道です。(車の先端が見えてますね。)この道が元の「物集女街道」ではないのでしょうか。

この道を北に進むと、新しい方の道と合流し、松尾橋のたもと(松尾大社の前)につながっています。道を広げにくいので、田んぼの真ん中に新しい道を作って、自動車等の交通をそちらに迂回させたのではないかと思います。

で、それを裏付けるかのように、この「山田岐れ」の交差点に「浄住寺」を示す道標があります。

浄住寺道標 No4

交差点の南西角に「右 浄住寺」と刻まれた、立派な道標が残っています。昔はこちらがメインの通りであったのではないでしょうか。

浄住寺道標 No5

裏側には「昭和四年一月 小松原脩民 建立」と刻まれています。人や馬が主流だった昭和初期においてはこちらの道でも困ることはなかったのでしょうね。

さて、この道標の「右 浄住寺」に従って進むとどんどん山手に進み、浄住寺を超えていくと「唐櫃越え」です。近々、この道を歩いてみたいと思っています。

アクセス

  • 京都市バス「松尾大利町」下車、徒歩5分

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