乾向地蔵尊 来月は地蔵盆

京都の夏

御所の西に「武者小路通り」という狭い道があります。東西に走るこの道は、その昔、御所の警護をしていた侍が多く住んでいたので「武者小路」と呼ばれたそうですが、ほんとかどうかわかりません。

「武者小路」は「無車小路」とも書かれたそうなので、上の起源は眉唾物かもしれませんね。古文書には「武者小路」と「無車小路」と両方の記述がありますし、「西無車小路町」という町名も残っています。

現在の「武者小路通り」は道路の変遷などで烏丸通りから小川通りまでの短い間でしかありません。武者小路千家の茶室である「官休庵」や千家十職の塗師(ぬし)である「中村宗哲家住宅」などがあります。でもそれ以外は、ほぼ昭和以降の住宅ばかりで、昔の面影はあまり残っていません。

乾向地蔵尊 No2

「武者小路通り」です。狭いので車は一方通行です。

乾向地蔵尊 No3

「武者小路通り」の「武者小路町」です。

乾向地蔵尊 No4

なんか、ほのぼのとする住宅案内図です。

乾向地蔵尊 No5

「武者小路通り」にある「乾向地蔵尊」です。

乾向地蔵尊 No6

お地蔵さんなのですが、けっこう立派な建物です。

乾向地蔵尊 No7

中のお地蔵さんも豪華に装飾されています。

御所から見て「乾」の方角なので「乾向地蔵尊」と呼ぶそうです。いつ頃からあるのかなどのご由緒などは不明です。

京都ではお盆は8月でして、13日に迎え火を焚いて「お精霊さん(おしょらいさん)」を迎え、16日に大文字の送り火でお送りします。それとは別に、24日ごろの日曜日などに「地蔵盆」という行事があります。

「地蔵盆」は江戸時代に町単位での行事や祭事などが多くなったことで、お地蔵さんを祀り疫病や飢餓などから守ってもらうという風習も町単位で行われるようになり、町ごとに多彩な行事が営まれるようになりました。近年ではどちらかというと、子供主体のお祭りに近い雰囲気です。

現代では「地蔵盆」は町内の安全と子どもたちの健康を祈願するもので、主催するのは町内会や子供会、学校などが担当することが多く、大人だけではなく子どもたちも地蔵盆の準備から一緒に取り組みます。一年に一度、地域のお地蔵さんを綺麗にするという趣旨もあり、前掛けを新しいものに変えたり化粧をするところが多く、色とりどりの装飾が施されます。また地蔵盆の期間にはお地蔵さんにお供え物を置いたりホオヅキを飾ったりもしますので、とても華やかになります。

京都のお盆と言えば「大文字」ばかりが取り上げられますが、市内のいたるところで繰り広げられる「地蔵盆」という風習も、見て回ると庶民的な京都らしさがよく伝わってきますよ。

アクセス

  • 京都市バス「今出川新町」下車、徒歩5分

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