「稲荷」とは何を指すのか?
京都観光の目玉の一つとして、みなさんご存知の「伏見稲荷大社」があげられますね。「千本鳥居」につられて、多くの外国人観光客が訪れています。最近は日本人の方が少ない感じです。
で、「伏見稲荷大社」の方はガイドブックにデカデカと載ってますので、私は「伏見稲荷大社御旅所」の方を紹介しましょう。「伏見稲荷大社」は全国の「お稲荷さん」の総元締めで、もともとは「秦氏」の祖霊として創建されたと伝えられます。
その「伏見稲荷大社」の「神幸祭」でお神輿(神様)がやってくるのがこの「伏見稲荷大社御旅所」です。かつては、「上社・中社(八条坊門猪熊)」、「下社(七条油小路)」にそれぞれ分かれてあったのですが、安土・桃山時代、「天正年間」に「太閤豊臣秀吉」により、2ヶ所の御旅所が統合され、現在地に遷されました。旧地は「古御旅所」といわれ、地名にも「南区古御旅町」として残っています。
「太閤秀吉」はやりたい放題やって京都の町中を引っ掻き回したので、庶民受けは悪かったです。今でもそんなイメージを持っている古老が多いように思います。代々言い伝えられたんでしょうね。
現在の「伏見大社御旅所」は油小路通りの東寺道の交差点にあります。「イオンモールKYOTO」の西側です。天気が良ければ京都駅から、ぼっちらぼっちら歩いていける距離です。
まずは行ってみましょう。
「油小路東寺道」の交差点です。北西角に「伏見稲荷大社」のでっかい看板があるのですぐにわかりますね。
「東寺道」側の境内南に入り口があります。石玉垣が続いていますね。
「油小路通り」のほうも、ずっと石玉垣が続いています。
なんせ古いので石柱にはこんなんもあるんですよ。時間があったらゆっくりとみてください。いろいろと発見があります。
南側の「鳥居」です。ちょうど半分日陰になってます。
とっても広い敷地です。ちょっとびっくり。
敷地の東寄りに神社が並んでいます。
まずはお詣りしましょう。
真ん中は「稲荷社」、「稲荷大神(いなりおおかみ)」を祀っています。
ちょっと近づいて写真を撮ると、少しデフォルメされてかっこいいでしょ。
本坪鈴の金色が朱色に映えます。
朱色も赤に近い朱色なのでとても鮮やかに見えます。
「稲荷大神」の神額。
なかが少し見えてます。
きらきらでまぶしいです。
本社右側に鎮座する末社。
向かって左が「豊受皇大神(とようけのすめおおかみ)」、右が「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」です。
反対の左側にも末社があります。
こちらは「上命婦社」、「上之命婦(かみのみょうぶ)」を祀ります。
こちらが「下命婦社」、「下之命婦(しものみょうぶ)」を祀ります。
敷地の北寄りには、とても大きくて立派な建物です。「神輿奉安所」でしょうか。
「稲荷祭」は、神幸祭、還幸祭、後宮祭からなり、「稲荷大神」が御旅所に渡御し、還幸します。
古くは、「稲荷祭」は、還幸祭のみでした。「神幸(おいで、おわたり)」は、4月二の午の日、「還幸(おかえり)」は、5月初卯の日に行われていました。「御旅所」に留まる期間(御旅中)がとっても長いですね。
「稲荷祭」は「祇園祭」と同じように「稲荷御霊会」が発展したものだそうです。平安時代の「貞観年間」から続いており、室町時代、には「山鉾」も登場し、「祇園祭」に匹敵する盛大な祭りだったそうです。しかし「応仁・文明の乱(1467-1477)」により中断し「山鉾」も消滅していしまいました。かつて、七条通で神輿が鴨川を渡る際には、大篝を焚きました。これが「松明殿稲荷神社」のいわれです。
応仁の戦乱後、神幸は再開され、その後、江戸時代には、「京の三大祭(他に賀茂祭、祇園祭)」の一つとなりました。
この「稲荷祭」にはちょっと面白い云われがあります。それもこのところBlogによく登場する「弘法大使空海」に関するいわれなんですよ。そして、「伏見稲荷大社」の創建に関するいろいろな説の一つにもなっています。この所説に関しては、他の方がBlogでいろいろと書かれているので目を通してみると面白いですよ。
「空海」が遣唐使として唐の国に渡り、仏教を学んでいるときに一人の古老に出会います。古老は「いずれまた会うことがあるでしょう。」と言って別れます。
その後、「空海」は帰国し「筑紫」で修行をしている時に、また稲を担った古老に会います。古老は「私は仏法守護する者で、京都の柴守長者(しばもりちょうじゃ)という。」と言ったそうです。
そして3回目は、816年「空海」が紀州田辺で修行をしていると再び古老が現れ「私は仏法の隆盛に尽力する者です。」と言って去りました。
そして823年、白髪の古老が、稲を荷い杉の葉を持って、二人の女性と二人の子を連れ、東寺の空海を訪ねてきます。「空海」は古老が「稲荷神」だと確信し、「柴守長者の家(八条二階堂屋敷旧跡、伏見稲荷大社御旅所)」に一行を泊め、手厚くもてなします。そして「空海」は東南の東山、東寺の「杣(すぎ)山」で17日間の「鎮壇の修法」という祈祷を行い、古老(稲荷神)に鎮座させることに成功します。そして古老の「稲荷い」に因んで、「稲荷明神」と称したとのだそうです。これが「伏見稲荷大社」の創建であるという説があります。
で、「稲荷祭」の「還幸祭(5月3日)」では、「空海」が「東寺」を訪れた古老(稲荷神)をもてなした伝承に由来する儀式が続きます。そして「伏見稲荷大社御旅所」へ、5基の神輿が還御するのですが、神輿は「東寺」に立ち寄って、東寺の僧侶による「神饌献供」を受けます。これが、「空海」が「稲荷神」をもてなしたという伝承に因むものだということです。近代までは神輿は「東寺南大門」より境内に入り、「金堂」前で「神饌献供」、法要を受けていたそうです。
まぁ、逸話がたくさん入っているので、ちょっとどうかなとも思うのですが、長年にわたって続く儀式のことを考えると、「伏見稲荷大社」の創建にも「弘法大使空海」がかかわっていたのかもしれませんね。京都の歴史は面白いですよ。
色々と建物などがあるのですが、案内書きが見当たらなかったので詳しくはわかりませんでしたよ。
北側の出入り口にある鳥居です。
都会の中のオアシスといった感じの広くてゆったりと落ち着ける空間です。ちょっと腰かけて、千数百年前に創建された「伏見稲荷大社」が今も続いているということの壮大さを感じていただきたいと思います。
アクセス
- 京都市バス「東寺道」下車すぐ