八橋検校道場の跡 ご存知,あの「八ッ橋」ですよ

四条烏丸近辺

前回は、「當道職屋敷跡」を紹介しましたが、今日はそれにも少し関係がある旧跡です。

「當道職屋敷」は盲人の組織である「当道座」の総元締めでしたが、割合近い場所に「八橋検校(けんぎょう)」の道場跡があります。「検校」は「当道座」では一番高い位を表します。

場所は「室町通り」の「四条」を下ったところです。

八橋検校道場の跡 No2

朝の「四条通り」です。まだ交通量も少なく静かなもんです。

八橋検校道場の跡 No3

下っていくとすぐに「池坊短期大学」があります。その入り口のすぐ南です。

八橋検校道場の跡 No4

かつてこの辺りには「八橋検校」の道場がありました。箏曲でも道場と言うんですね。

八橋検校道場の跡 No5

「八橋検校」は江戸時代前期の人で、陸奥国磐城の出身だといわれています。

八橋検校道場の跡 No6

「八橋検校」は、寛永年間の初め頃、摂津国で「城秀」と称して三味線で活躍しました。その後、江戸にくだり、「筑紫善導寺」の僧「法水」に師事して「筑紫流箏曲」を学んでいます。この箏曲を基に現在の日本の箏の基礎を作り上げました。

「八橋検校」についてはもう一つ。

「八橋検校」は、親しかった井筒茶店の主人「岸野治郎三」に、飯びつや桶に残った米を捨ててしまうのはもったいないと諭し、小米、砕米、そしてその残りの米に、蜜と桂皮末(けいひ:シナモン)を加えて、堅焼煎餅を作るとよいと教えたそうです。これが京都の堅焼煎餅「八ッ橋」の起こりだと伝えられています。

「八橋検校」は貞享2年(1685年)に亡くなるのですが、井筒茶店も含め祇園中の茶店で検校を偲んで、「琴」の形に焼き上げた堅焼煎餅を「八ッ橋」と名付け売り出したところ、それが大流行し堅焼煎餅である「八ッ橋」が世間に知れ渡ったと伝えられています。

京都観光の方々がお土産にする「八ッ橋」はここから続いているわけです。

アクセス

  • 京都市バス「」下車、徒歩分

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