土御門内裏跡 目まぐるしい変遷

土御門大路

今日は「土御門(つちみかど)内裏跡」を訪ねます。「土御門殿(どの)」の方ではありませんので念のため。

「土御門内裏」は平安時代の末期に「里内裏(さとだいり)」が置かれたところです。「里内裏」というのは、平安京時代、「平安宮内裏」が火事で焼失した場合などに天皇が住んだ仮の皇居です。もともとは天皇退位後の在所とすることを主な目的として設けられた離宮である「後院」が使われていたのですが、「後院」が太上天皇の在所として既に用いられている場合などには、天皇外戚の邸宅などが仮皇居として用いられることがあって、これを「里内裏」と呼びました。

なので「平安宮内裏」が再建されると天皇は戻っていくのが慣例でしたが、度重なる消失で再建が遅れたり、財政が厳しくてすぐに再建できなかったりと、「里内裏」の期間がどんどんと長くなっていきます。摂関政治の頃にはまだ「平安宮内裏」が本来の皇居であると認識されていましたが、院政が敷かれると、「平安宮内裏」の有無に関わらず「里内裏」を皇居とする例が一般化しました。

今回紹介する、「土御門内裏」は、平安時代の10世紀に「具平親王(ともひらしんのう)」の邸宅が造営され多場所です。その後、曽孫である、詩歌に優れた「源師時(もろとき)」の邸宅「土御門邸」となります。また、その後、「白河法皇」の近臣で蔵人頭であった「藤原顕隆(あきたか)」の提案で、永久5年(1117年)第74代「鳥羽天皇」の新たな「里内裏」として改築が行われています。その時に「平安宮大内裏」を模倣して改築され、配置や建物の名称も大内裏のものをそのまま採用しました。北は「土御門大路(現:上長者町通)」、南は「鷹司小路(現:下長者町通)」、東は「烏丸小路(現:烏丸通)」、西は「室町小路(現:室町通)」の内で方一町(100m四方)の広さでした。

続いて第75代「崇徳天皇」も「里内裏」にするのですが、保延4年(1138年)に火災で焼失します。すぐさま再建されて、第76代「近衛天皇」の里内裏になもなります。

久安4年(1148年)に再度焼失し、仁平2年(1152年)頃から再建が開始されたのですが、途中で暴風雨による災害、「近衛天皇」の崩御、「保元の乱」などが続き再建の中止と再開を繰り返しました。「保元の乱」後は、「後白河天皇」が久しく再建されていなかった「平安宮大内裏」の再建を打ちだします。これは「土御門内裏」の再建場所が、前年の久寿2年(1155)に「後白河天皇」の践祚(せんそ)が行われた「高松殿」の方忌にあたるということで、「後白河天皇」は「土御門内裏」の再建の方を中止して、「土御門内裏」そのまま廃絶となりました。

「土御門内裏」に関してはここまでなのですが、この土地は、そのあとも目まぐるしく住人が変わります。

鎌倉時代から室町時代には、「清浄華院(しょうじょうけいいん)」がここに移されます。この移転は「三条坊門殿」に住んでいた「足利直義」が、暦応2年(1338年)に持仏堂的な寺院として「等持院」を建立、邸宅に隣接していた「清浄華院」の敷地を接収したためにここに移転してきたと考えられています。

安土・桃山時代には、「清浄華院」は、太閤「豊臣秀吉」により寺町に移されます。その跡地には黄金塗瓦葺の大名屋敷が建てられたのですが、太閤秀吉の「伏見城」造営に伴い屋敷は伏見に移されてしまいます。

江戸時代の寛永13年(1636年)頃に「水戸藩邸」が置かれます。江戸時代末までは「水戸藩邸」だったのですが、元治元年(1864年)、「蛤御門の変(禁門の変)」により藩邸は全焼しました。なんせ烏丸通を渡ったところが蛤御門ですので、戦場の真っ只中です。

近代以降も、所有者が次々に代わって、現代、平成8年(1996年)、旧地の一部が「京都ガーデンパレス」になりました。

最初に書きましたが、こことよく混同しがちな「土御門殿」は、「藤原道長」の邸宅であり、平安京東北、「京極大路」の西にありました。現在の「京都御苑」内、「京都迎賓館」の南側にあたります。

では、変遷目まぐるしかった「土御門内裏」跡に行ってみます。私は「烏丸丸太町」から北を目指して上がってきました。

土御門内裏跡 No2

下長者町の交差点を渡りきったところです。ここからが「土御門内裏」があったところです。石碑や説明書きがあるはずですが...

ポチポチ歩いていると、「上長者町通り(旧:土御門大路)」まで来てしまいました。

おりょりょ。石碑、見落としましたよ。

仕方がないので今来た「烏丸通り」を南へ下がります。

土御門内裏跡 No3

発見! 向こうから歩いてくるとわからんわ。

土御門内裏跡 No4

「京都ガーデンパレス」の敷地内でした。木の陰にひっそりとたたずんでますね、石碑。

土御門内裏跡 No5

「土御門内裏跡」の石碑と案内書きです。

土御門内裏跡 No6

「土御門内裏跡」の石票は、けっこう新しいですね。ホテルの前なので手入れもバッチリされています。

土御門内裏跡 No7

正式には「土御門烏丸邸」というのですね。このように、京都の土地って、いろいろと上物が変わっていくんですね。「里内裏」として3代の天皇が暮らしたこの土地も、現代ではきれいで立派なホテルになってます。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸下長者町」下車、徒歩2分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする