江戸時代の京都をしのぶ
京都は古い街なのですが、中心部には当然ながら近代化の波が押し寄せてきていますので、一般的な住宅地で史跡や旧跡なんかを残していくということはとても大変なことです。
例えば、京都の真ん中で言うと「御所」は当然国が管理するでしょうから、昔ながらの佇まいを残すことは可能でしょう。二条城や天神さんにしても、有名であったり、観光の目玉になると財政的にも保存が可能となります。
しかし一般の住宅を100年、200年保存しようとすると、史跡の指定などを受けない限り、一般人が金銭的負担を負うことはとても難しいです。
今回紹介する「奥溪家住宅」も「京都市指定有形文化財」に登録されています。有名ではないのですが、京都市の真ん中の住宅街に突如としてかやぶきの家屋が出現するので、物珍しさがあります。でも中は非公開なので、外からしか見ることができません。江戸時代の町屋です。
「奥溪家住宅」の主屋と長屋門の2棟が「京都市指定有形文化財」に登録されています。
奥溪家は安土桃山時代のキリシタン大名で有名な「大友宗麟」の孫である「奥渓以三中庵」の家系だそうです。「奥渓以三中庵」は医者の「曲直瀬道三(まなせどうざん)」に師事したとのことで、子孫の方は現在でも「奥渓以三薬房」という漢方薬店を営んでいらっしゃいます。(奥溪家住宅の南側です。)
「奥溪家」は元和6年(1620年)後水尾天皇の中宮、徳川二代将軍徳川秀忠の女(むすめ)である東福門院の御典医となりました。東福門院崩御の後は別荘であった当屋敷に移り住み、仁和寺宮門跡の侍医も八代まで務めたという医家です。
本物のかやぶきですよ。かやぶき屋根は葺き替えすると、高額な費用が掛かるようで、あきらめて金属製の板を使うようにする家が多いそうです。ヨーロッパでもかやぶき屋根は存在するのですが、こちらも高額であり、今でも新築でかやぶき屋根にするのは富裕層のステータスだそうです。
「長屋門」です。主屋の方はこの中なので、残念ながら見られません。ここだけ時代が止まっているようですね。
江戸時代の町屋が京都のど真ん中にあるというのは驚きです。末永く保全してもらいたいです。
この辺りは大規模なマンションがなく、昭和の匂いのする住宅街が連なっている場所です。当てもなくぶらぶらと散策するだけでもノスタルジーを感じられるところです。夕暮れ時がいいですよ。
アクセス
- 京都市バス「北野中学校前」下車、徒歩5分