高野水力発電所跡 京都の産業発展に寄与した八瀬の発電所

都市の振興 鉄道と電力

今日も、八瀬に残っている古い施設の跡を紹介します。それは昨日紹介した「八瀬 ラジオ塔」のすぐ近くにある「高野水力発電所跡」です。

この「高野水力発電所」は、「京都電燈」という会社が大きく関係しています。そして「京都電燈」は現在の京都の電力や電車の礎を築いてきた会社です。

現代の京都で水力発電というと、「天ケ瀬ダム」や「琵琶湖疎水」で行われているものが代表的ですね。昔の黎明期にはもっとたくさんの水力発電所がありました。当然、技術の発達段階であったので、現代の発電所と比較すると規模は小さいのですが、京都市内の近代化による電力需要を満たしてきた重要な発電所たちです。

その一つが八瀬に残っている「高野水力発電所」です。「高野水力発電所」はうなぎ上りに増加する京都の電力需要を満たすため、「京都電燈株式会社」が明治32年(1899年)3月に高野川の水利権を譲り受け、6月から着工、翌、明治33年(1900年)5月に竣工しました。発電の出力は180kWで、当時としては新しい誘導型交流発電機が設置されました。発電所の黎明期は直流低電圧での送電が多かったのですが、「高野水力発電所」は交流高電圧の送電を行い3500Vの三相交流で送電しています。送電先は堀川中立売にあった「堀川変電所」で、ここで二相交流に変換して2200Vで市内に電力を供給していました。

まずは「高野水力発電所跡」を見てみます。

高野水力発電所跡 No2

叡山電車「八瀬比叡山口」駅です。叡山本線の終点です。

高野水力発電所跡 No3

「ひえい」が停まってますね。

高野水力発電所跡 No4

「八瀬叡山保勝会」の観光案内ですが、当然「高野水力発電所跡」は載ってません。「八瀬もみじの小径」を目指します。

高野水力発電所跡 No5

「八瀬もみじの小径」の入り口です。「高野水力発電所跡」は、この上の方にあります。なだらかな傾斜の道です。

高野水力発電所跡 No6

やってきました「高野水力発電所跡」です。

高野水力発電所跡 No7

説明書きが掲げられています。

高野水力発電所跡 No8

「高野川」から引かれた水が、ここから下の発電機に向かって流れ落ちていきます。

高野水力発電所跡 No9

だいぶんと落ち葉がたまっています。

高野水力発電所跡 No10

水門が残ってます。

高野水力発電所跡 No11

けっこう急な傾斜です。

高野水力発電所跡 No12

送水管です。

高野水力発電所跡 No13

こうしてみると、急斜面であることがよくわかると思います。

高野水力発電所跡 No14

よく見てみると、送水管の外側は鉄の板を張り合わせてリベット止めしてあるんですね。

さて、この「高野水力発電所」を建設した「京都電燈株式会社」は、明治21年(1888年)4月、「京都電燈会社」として設立されました。明治22年(1889年)7月には、社屋のあった高瀬川西岸で、なんと石炭による火力発電を開始し、直流による近距離低圧配電を行いました。昔は京都に火力発電所があったんですね。

京都市が琵琶湖疏水の蹴上発電所の営業を開始すると、蹴上発電所からの電力の供給を受け配電事業を始めます。この時に火力発電は中止し低圧直流から高圧交流への転換を行いました。

その後の大正3年(1914年)「京都電燈株式会社」は京都府と福井県において鉄道業を始めます。そして大正7年(1918年)には「嵐山電車軌道」を合併しました。大正14年(1925年)9月には「叡山線」を開業し昭和2年(1927年)には「鞍馬電気鉄道」を設立しました。そして沿線のバス会社と乗客争奪合戦を繰り広げた後傘下に収め(現在の「京都バス」の前身)、洛北、嵐山方面の交通機関を一手に担うこととなりました。

破竹の勢いで勢力を伸ばしたのですが、太平洋戦争の戦時統制によって、昭和16年(1941年)に発送電部門と配電部門の出資命令が出されます。 鉄道やバスの陸上輸送事業は、昭和17年(1942年)3月に「京福電気鉄道」として分離発足しました。 同年4月に発送電部門を「日本発送電」、配電部門を「関西配電」、「北陸配電」に出資、以降は清算に入り、昭和19年(1944年)に清算を完了し、「京都電燈株式会社」は消滅します。

昭和26年(1951年)「日本発送電」、「関西配電」は「関西電力」として再編され、現在に続きます。また「京福電気鉄道」は平成12年、13年と福井県で2回の正面衝突を起こし、国土交通省から福井地区列車運行停止を命ぜられ、福井地区の鉄道事業からは撤退しました。そして平成14年には経営不振から株式をすべて「京阪電気鉄道」に売却して完全子会社となりました。現在は「叡山電車」の叡山本線と鞍馬線、「京福電気鉄道」の嵐山線(嵐電)、叡山ケーブル、叡山ロープウェイ、京都バス株式会社などが営業を続けています。

そして、戦後も活躍していた「高野水力発電所」ですが、残念ながら昭和41年(1966年)に閉鎖されました。

まさに明治維新後の京都市の振興の中で生まれ、戦前戦後の発展の中でその力を発揮し、そして静かに第一線を離れた「高野水力発電所」は、近くで現役として活躍する叡山電車や叡山ケーブルを見守るように、今でもひっそりと八瀬の山の中で余生を送っているように思えてなりません。

アクセス

  • 叡山電車「八瀬比叡山口」下車、徒歩5分

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