安堵の塔 ルルゲさん

名前からは想像がつかない

右京区嵯峨に「ルルゲさん」と呼ばれる、石碑があります。

「ルルゲさん」って聞いてもなんかわかりませんよね。「さん」がついているので「人」なのだろうかと思うが普通でしょう。でも京都人は何にでも「さん」をつけたがります。

「お芋さん」「お玉さん(玉子のこと)」に始まり、「お稲荷さん」「おくどさん(かまど)」などなど。

で、「ルルゲさん」てなんでしょうね?

実はこの石碑、「日蓮」の孫弟子にあたる「日像」の号である「龍華寿院」に因んで「ルルゲ(龍華)さん」と呼ばれるそうです。

正和3年(1314年)に「日像」が「車折神社」の社頭で「法華経」の布教を行っていたところ、他宗派の襲撃を受けて近くの甲塚(かぶとづか、兜塚、冑塚)古墳に身を隠して難を逃れました。「日像」はこのことにとても感謝し、古墳の石蓋に「波動(なみのり)」の題目を刻んで立てたと伝えられます。災難を避ける功徳があるそうです。

私は「日像」については詳しくないのですが、なんでも「日蓮宗」の偉いお坊さんだそうです。何度も迫害や弾圧を受けたのですが、それにも屈せず信徒を拡大したそうです。

それでは「安堵の塔」へ行ってみます。

以前紹介した愛宕道にある「安堵橋」からさらに西に進みます。

愛宕道 「安堵橋」と呼ばれる橋があります。この橋を探していたのではないのですが、たまたま通ったので紹介します。 「安堵橋」は現在の正...

うるまが通る時代になると細い道に感じますが、人馬の時代には「街道」といってもいいぐらいの道です。

安堵の塔 No2

愛宕道の方から見た「新丸太町通り」です。信号のところが「新丸太町通り」の交差点です。

安堵の塔 No3

その反対側にあるのが「安堵の塔」、通称「ルルゲさん」です。道から一段低い場所にあります。駒札が無ければ発見できないでしょう。生垣に囲まれ、周囲に同化しています。

安堵の塔 No4

「安堵の塔」の駒札です。

安堵の塔 No5

「日像上人題目石」の石標があります。

安堵の塔 No6

階段を降りてみましょう。

安堵の塔 No7

何やら刻まれています。

安堵の塔 No8

もっと近づかないとわかりませんね。

安堵の塔 No9

これで見えるでしょうか。「南無妙法蓮華経」と刻まれています。難を逃れた感謝の印とはいえ「古墳の石蓋」といえば他人のお墓でしょうが、そんな事もお構いなしにお題目を刻んだとは、なんか自分とこの宗教だけが正義の味方で、他の仏さんを慮ってないように思えてしまいます。そらそんなこと繰り返してたら、他の宗派といざこざが起こってしまうのも無理はないではないでしょうか。

ま、私のそんな考えはどうでもいいことですね。

ここなどは京都人でもあまり知らない史跡なんですよ。観光地である「渡月橋」や「長辻通り」、「竹林の小径」などはガイドブックに載っていて多くの観光客が訪れますが、少し離れた嵯峨野あたりは、あまり観光客が来ないのでがガイドブックにも載りませんが、昔からの史跡はいろいろと残っています。

少し時間を作って、自転車なんかで回ってみると、発見がたくさんあって面白いですよ。

アクセス

  • 京都市バス「広沢御所ノ内町」下車、徒歩3分

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