礎石と礎盤 (京都文化博物館別館内)

縁の下の力持ち

JR二条駅から「竹屋町通り」「夷川通り」を通って、「烏丸通り」まで来ました。ここからは下って(南下して)今日の目的地に向かうのですが、まだ時間が早かったので、「三条通り」を東に入り、「京都文化博物館」の別館に立ち寄りました。

なんか展示をしてはったけど、目的はトイレ。 すんません。

礎石と礎盤 No2

トイレは中庭みたいなところにあります。別館の建物、レンガ造りでかっこいいでしょ。

礎石と礎盤 No3

トイレの真横には「礎石と礎盤」と題した展示があります。

礎石と礎盤

礎石と礎盤は、ともに木の柱が腐るのを防ぎ、建物全体を安定させるために柱の下に当てがったものです。礎石は仏教の伝来に伴って、6世紀後半に寺院の建築様式の一部として日本に登場しました。一方、礎盤は禅宗様式として鎌倉時代以降に新たに導入されたもので、礎石と柱の間に挟み込まれたものです。
右側の自然石のように見える石は、平安宮大極殿があった京都市中京区千本丸太町交差点北西の、内野児童公園で発掘されました。全体の1/3ほどしか残っていませんが、推定される直径は1mを超えており、規模の大きさから大極殿の礎石として使われていたと考えられます。花崗岩を利用し、柱の乗る上面(柱座)のみを丸く台状に造り出しています。大きく欠損し剥落も著しいため、全体の正確な形の推定は困難です。巨大なものですが、実際に据えられた時には見えるのは柱座より上の部分だけで、下方の大部分は基壇の下に隠れてしまいます。
左側の円盤形に整形されているのは、江戸時代初期に建立された南禅寺三門の礎石と礎盤を模作したものです。礎盤の中央には凹臍が穿たれており、柱がずれないように配慮されています。小豆島産の花崗岩を使い、当時の技術を模して、「ノミ切り」加工で仕上げられています。

礎石と礎盤 No4

これが「大極殿」の「礎石」です。平安時代に使われていたものです。千年以上前に使われていたものが目の前にあるというのはちょっと感動モノです。

礎石と礎盤 No5

こちらは「南禅寺三門」の礎石、礎盤の模作(レプリカ)。実際のモノよりもはるかにちっこいです。本物はびっくりするほど巨大です。

こんなのが地面の中で大きな建物を支えていたんですね。「礎石」を「礎盤」も歴史的な遺産として残りますが、現在の建物の基礎なんかはただのコンクリートなので1000年後になってもそんなに価値は見いだされないんでしょうね。

なぜ、京都文化博物館にこのような展示がされているかの因果関係はあまりよくわかりませんが、確かに「京都」の「文化」なのは間違いありません。「大極殿」のあった「千本丸太町」は毎日バスで通ってるし、「南禅寺三門」は良く行く所だし、自分の中ではこの展示はなかなかのヒットでした。

さて、用も足したので本館の中を抜けて、目的地に向かいましょう。目的地はすぐ近くです。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸御池」下車、徒歩5分

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