安堵橋(甲塚橋)と東詰道標 愛宕詣で

愛宕道

「安堵橋」と呼ばれる橋があります。この橋を探していたのではないのですが、たまたま通ったので紹介します。

「安堵橋」は現在の正式名称を「甲塚(かぶとづか)橋」といいます。場所は、JR嵯峨野線でいえば「太秦」と「嵯峨嵐山」の真ん中あたりです。

甲塚橋東詰道標 No3

ここはJR嵯峨野線と「有栖川」の交差するところです。有栖川沿いの道を北行します。

甲塚橋東詰道標 No2

有栖川に架かる橋ですけど、これは違う橋です。自転車かバイクまででしょうね。昔の軽自動車なら通れるかな。

甲塚橋東詰道標 No4

やってきました「安堵橋」です。この道は「愛宕道」と呼ばれる、京都市内から「愛宕山」は詣うでるときに通る道です。橋のたもとには「宝樹寺」というお寺もあります。その向こうには「甲塚古墳」という古墳があるのですが、私有地なので個人では見ることができないようです。残念。

甲塚橋東詰道標 No5

「甲塚橋」と刻まれています。「都名所図会」に「安堵橋」の由来が書かれています。昔、嵯峨の清凉寺(嵯峨釈迦堂)の近くで火事がありました。赤栴檀(しゃくせんだん)の香木の焼ける匂いが比叡山まで届き、比叡山の宗徒は一大事と駆けつけましたが、この橋付近まで来た時に、釈迦像は無事だと聞き、安堵したので「安堵橋」といわれるようになったとのことです。

これとは違い、このあたりは古代において「阿刀(あと)氏」が治めた地域であり、この「阿刀」が訛って「安堵」になったという説もあります。「安堵橋」の北には「阿刀神社」が現存します。

甲塚橋東詰道標 No6

「安堵橋」の東には大きな石票があります。

甲塚橋東詰道標 No7

近づくと、親子のように二つの石票が寄り添って立っています。

甲塚橋東詰道標 No8

[北]  左 北野天満宮  二条  下立売

甲塚橋東詰道標 No9

けっこう斜めになってしまってますね。

甲塚橋東詰道標 No10

[南]  左 あたご

[西]  右 三条通  六条  ふしみ

甲塚橋東詰道標 No11

[東]  文政七年  甲申五月 再建

甲塚橋東詰道標 No12

小さい方には

[西] 右 三条みち
[北] 左 五条みち

と刻まれています。

この道は「愛宕山」詣での道として多くの人々が通った道です。交通の増加とともに道が狭くなり、この道の北側に「新丸太町通り」ができてからは、車用ではなく、もとの人間用の道の様相を取り戻した感があります。そのうち紹介しますが、この愛宕道沿いには面白い史蹟、旧跡がいろいろとありますので、ゆっくりと散策するにはもってこいの道です。

愛宕山もしばらく登ってないので、久しぶりに参詣したいのですが、こう暑くてはなかなか踏ん切りがつきません。登ってしまえば涼しいのかもしれませんけど、下山してきて京都の暑さを再認識しなければいけないであろうと思われるので躊躇してしまいます。もう少し涼しくなったらチャレンジしましょう。

アクセス

  • 京都市バス「広沢御所ノ内町」下車、徒歩5分

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