此付近水戸藩邸跡 「大日本史」の故郷

御所横の石碑

今日は、烏丸の下長者町にある「水戸藩邸跡」の碑を見に行きます。

「藩邸」と言いますので、当然江戸時代の話。「水戸藩」はご存じのとおり、「徳川家康」の子「徳川頼房」を藩主とする「徳川御三家」の一つであり、第2代藩主「徳川光圀(みつくに)」が有名ですね。光圀は「大日本史」の編纂事業を始め、この事業は幕末まで継続されます。歴史書なので、資料集めが大切になるのですが、当然、当時の歴史資料と言えば歴史の古い京都にたくさん残っていたでしょうし、資料集めのための要員が多数派遣され、藩邸を中心にして活動、資料の筆写も藩邸内で行われたそうです。

水戸藩邸があったのは、現在「京都ガーデンパレス」があるあたり、つまり「下長者町通り」の北側あたりになります。

とりあえず行ってみます。

此付近水戸藩邸跡 No2

「下長者町通り」を西の方から歩いてきました。上の画像では左手の家の並びは「水戸藩邸」だったところです。

此付近水戸藩邸跡 No3

「此付近水戸藩邸跡」の石碑が見えてきました。「水戸藩邸京屋敷」が置かれたのは江戸時代の中期ごろだそうですが、詳しい年代は不明です。貞享(じょうきょう)3年(1686年)の地図「旧藩々上邸箇所」には、「水戸藩邸」の記載があるそうです。

此付近水戸藩邸跡 No4

朝早いので、「烏丸通り」を歩く人もまばらです。光圀は正保3年(1646年)、学者を京都に派遣し、「大日本史」のための古書収集を開始しています。

此付近水戸藩邸跡 No5

「水戸藩邸跡」と刻まれた石柱と「此付近水戸藩邸跡」と書かれた駒札が立っています。

此付近水戸藩邸跡 No6

けっこう新しくてきれいな駒札です。明治初めには「水戸藩邸」は廃止されますが、当時の敷地は1302坪(4300㎡)もあったそうです。さすが水戸33万石ですね。

此付近水戸藩邸跡 No7

石柱の方はそれなりに古いようです。

此付近水戸藩邸跡 No8

光圀が始めた「大日本史」の編纂は明治39年(1906年)になり、250年の歳月を経て完成しました。本紀73巻、列伝170巻、志126巻、表28巻の4部構成で、397巻226冊(別に目録5巻)という、私には一生かかっても読み切れないような内容です。

明治維新から150年が経ちます。水戸藩邸は無くなり、150年後にはきれいなホテルが建っています。これから150年後にはどんなになっているんでしょうかね。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸下長者町」下車、徒歩1分

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