平安宮豊楽殿跡 国家的大宴会場

平安宮の大宴会場

現代において平安宮の建物は失われてしまっており、「跡」が発掘されるのみとなってます。とても残念ではありますが、仕方がないですね。

今回は平安宮の「豊楽殿跡」訪ねます。「豊楽(ぶらく)」とは宴会を意味します。なんかわくわくしますね。

「豊楽殿」は平安京大内裏にあった豊楽院の正殿で、朝堂院の西隣に建っていました。「天子宴会之処(てんしえんかいのところ)」として、元日節会(せちえ),新嘗祭(しんじょうさい)・大嘗祭(だいじょうさい)の節会,射礼(じゃらい)、外国使節入朝時等の国家的饗宴が行われていました。大宴会場ですね。東西九間,南北四間の大きさの建物で,屋根には緑釉瓦が葺かれていたそうです。

「豊楽殿」が完成したのは少なくとも延暦19年(800年)以降で,当初は「乾臨閣(けんりんかく)」と呼ばれました。後に、神泉苑の正殿に同名が付けられたので「豊楽殿」と改名されています。平安中期には徐々に荒廃し、天延4年(976年)に倒壊、その後も倒壊、焼失を繰り返し、その度に再建されてきましたが、康平6年(1063年)には「豊楽院」が焼失し,以後は再建されることがありませんでした。

「豊楽院跡」は、平成2年に「平安宮豊楽殿跡」として史跡に指定されましたが,平成20年にすぐ北の「平安宮内裏内郭回廊跡」(昭和54年史跡指定)と統合し「平安宮跡 内裏跡・豊楽院跡」と名称が変更されています。

平成27年度には発掘調査によって「豊楽殿」の規模が確定し、東西38.5m、南北16mで大きさや構造が一致する奈良の平城宮第2次大極殿が移築された可能性が高いと、京都市文化財保護課が発表しています。

平安宮豊楽殿跡 No2

石票のない方向から見ると、建築前の空き地にしか見えませんよ。

平安宮豊楽殿跡 No3

ゆうぐれどきの「豊楽殿跡」です。何か物悲しい雰囲気ですね。

平安宮豊楽殿跡 No4

「豊楽殿」は現在の中京区聚楽廻西町(なかぎょうく じゅらくまわり にしまち)付近に位置しており、道路横に「史跡 平安宮豊楽殿跡」の石票と説明書きが立てられています。

平安宮豊楽殿跡 No5

説明書きの方は見えにくくなってきてますね。

平安宮豊楽殿跡 No6

住宅街の真ん中に突如、ど~んと出現します。

平安宮豊楽殿跡 No7

いつも感心するのですが、あちこちにある平安宮の「跡」はきれいに手入れされていて雑草がぼうぼうに生えているということもないんですよね。

平安宮豊楽殿跡 No8

遺構は何もないのですが、とてもきれいな印象を与えます。盛り上がっているのは「基壇跡」と「廊下」の一部だそうです。真ん中より左が「廊下」跡で、この廊下の北側には「清暑堂」がありました。上の三つの画像は南を向いているのですが、ここからさらに南にかけて「豊楽殿」が建っていました。

平安宮豊楽殿跡 No9

九世紀中ごろ以降は、行事はもっぱら紫宸殿の方で行われるようになり、豊楽殿は徐々に廃れていきます。

宴会場の「跡」だけですが、近くに「跡」がたくさん残っているので散策すると面白いですよ。

アクセス

  • 京都市バス「千本丸太町」下車、徒歩2分

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