画家呉春宅址 東洞院(ひがしのとういん)

四条派

昨日、「圓山応挙宅址」を紹介しましたが、今回は「画家呉春宅址」です。場所も割合と近いところです。

「応挙」の旧字体「應舉」は割合と簡単に出てきましたが、「呉春」の「春」の旧字体(「十」の三つ重なったやつ)は出てきませんね。最近は使われることもないのでしょうか。

「呉春(ごしゅん)」は江戸時代中期の絵師で「四条派」の始祖と呼ばれます。京都の裕福な金座役人の家に生まれ,「松村月渓」とも称しました。「与謝蕪村」や「圓山応挙」に学び,文人画の様式と写生画の様式を兼ね備えた独自の画境を極めて,「四条派」の流れを作りました。

画家呉春宅址 No2

「呉春」が住んでいたのは、「東洞院通り」の「錦(にしき)」を少し上がったところです。以前は少しせせこましいところにあったのですが、マンションが建ってきれいになってます。

画家呉春宅址 No3

「東洞院通り」の西側の並びです。

画家呉春宅址 No4

エントランスの脇にきれいな植え込みが創られていますね。

画家呉春宅址 No5

「画家呉春宅址」の石碑ですが、この旧字体の「春」が出てきませんでした。

画家呉春宅址 No6

「与謝蕪村」や「圓山応挙」に学んだとは、とってもうらやましい環境ですね。江戸時代の市場界隈はにぎわいがあったのは当然として、文化的な潮流の最先端であったわけですね。

最近は、菅公かが著しい錦市場の近所なので、近くに来られたら、寄ってみてください。そしてスマホで呉春がどんな絵を描いていたのか、その場でちょっと検索してみると、趣が感じられると思います。

呉春    (←検索用)

「呉春」だけで画像検索すると「酒」ばっかり出てきます。「呉春 作品」の検索が良いかな。

アクセス

  • 京都市バス「四条高倉」下車、徒歩6分

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