明智光秀の重鎮 斎藤利三
先日紹介した「たてかわ桜」は「春日局」が植えたと伝わります。「春日局」と言えば、江戸幕府の第3代将軍「徳川家光」の乳母となり権勢を誇った人ですね。その父「斎藤内蔵介利三」の菩提を弔うという意味で植えた「たてかわ桜」ですが、その接ぎ木が「真如堂」で今もきれいな花を咲かせています。
「斎藤利三」は「明智光秀」に重用され「明智秀満」と並ぶ明智氏の筆頭家老として用いられた人です。「光秀」の丹波平定後は1万石を与えられて、丹波「黒井城」主となり、氷上郡を統治しました。
「斎藤利三」は実兄の「石谷頼辰」や「明智光秀」と同様に幕府の奉公衆の出身で、最初は摂津国の「松山新介」に仕え、次に「斎藤義龍」に仕え、後に「稲葉良通(よしみち:一鉄)」が「織田信長」へ寝返ると、それに従いって稲葉氏の家臣となりました。
しかし後には「稲葉良通」とも喧嘩別れして、最後は「明智光秀」との縁戚関係から光秀に仕えるようになりました。ほんとにまぁ、次々と主を変えていますね。
前室は「斎藤道三」の娘だったそうですが、裏付けはありません。後室は「稲葉良通」の娘で、「斎藤利宗」「斎藤三存」、それに末娘の「福(春日局)」らを産んでいます。
その「利三」も「本能寺の変」の後、羽柴秀吉との山崎の戦いでは先鋒として活躍しましたが敗れて逃走してしまいます。近江堅田で捕縛された「利三」は六条河原で斬首となってしまいました。
「秀吉」の命で、「利三」の首もしくは胴体は「光秀」とともに「本能寺」に晒されたのですが、彼と親交の深かった絵師の「海北友松(かいほうゆうしょう)」が槍を振って侵入し、晒されていた「利三」の首を奪い取って「真如堂」に葬りました。その「利三」のお墓に参りましょう。
例によって、京都市バス「真如堂前」で下車して、東参道から「真如堂」に入ります。「本堂」の南側に「たてかわ桜」があります。
たてかわ桜の近くに「利三」の墓の案内札があります。
土塀の向こう側は墓地ですね。真っすぐ進みます。
真っ直ぐ、真っ直ぐ進んで、だいぶんと奥の方ですが、お墓の前に案内札が立っています。
「斎藤利三 海北友松 墓碑」とよくわかるように案内されています。
これが「斎藤利三」のお墓です。
こちらが「海北友松」のお墓です。
今来た道を振り返ります。「本堂」です。
こちらは西の方に続く道です。たくさんのお墓があります。
私は東の方に向かって墓地を出ます。
親友とはいえ謀反人となった「斎藤利三」の首を奪還した「海北友松」の男気には脱帽です。戦国の世に、こんな親交が持てる親友がいたというのはとってもうらやましい限りです。
そして「本能寺の変」に関しては、否定的であったとの説と、「利三」こそが企てたというような説もありますが、さて真実はいったいどうなのでしょうか。
2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」では「明智光秀」が主人公ですが、「本能寺の変」を起こすに至った経緯がどのように語られるのかにとっても興味があります。楽しみですね。
アクセス
- 京都市バス「真如堂前」下車、徒歩10分