陽成院跡(二条院候補地) 桐壷更衣の実家

久々に紫式部

さて、今度は「夷川通り」を歩きましょう。今まで歩いてきた「竹屋町通り」の一本南側の通りです。道幅が狭いので西行きの一方通行になっています。

陽成院跡 No2

「東堀川通り」から「夷川通り」を望みます。昔からの住宅街ですよ。でも、はっきり言ってたいした観光場所はありません。ただ住宅街が続くだけです。

陽成院跡 No3

“無い”と言っても京都なので何がしかはあるんですよね。東にどんどん歩きましょう。上の画像の奥の方、左手です。

陽成院跡 No4

「夷川通り」の「夷川児童公園」には「陽成院跡」の案内書きがあります。「跡」なので何にも残ってないですけど...

二条院候補地(陽成院跡)
平安京左京二条二坊十三・十四町跡

この夷川公園一帯には、南北二町(二五二m)に及ぶ陽成院と呼ぶ邸宅があった。元慶八年(八八四)二月、譲位した陽成上皇は内裏からこの邸に遷幸して御所とし、母の皇太后藤原高子も渡ってきた。上皇の崩御後は二分割されて北町は一般の住宅に、南町は荒廃に任せた。この荒れ屋敷を、紫式部は『源氏物語』で光源氏の二条院に想定している。そもそもこの邸は光源氏の母、桐壷更衣の実家であり、源氏はこの屋敷を改築して藤壺の姪にあたる紫上を迎え入れている。北町の敷地の東南部における発掘調査では、陽成上皇時代に使用されたと思われる井戸跡が見つかっている。

平成二○年三月 京都市

陽成院跡 No5

「夷川通り」の北側にある「夷川児童公園」。ここが陽成院の北半分だったところです。

陽成院跡 No6

こんな感じのところです。

「二条院候補地(陽成院の南半分にあたる)」は、今私が立っている「夷川通り」を挟んで「夷川児童公園」の反対側なんですけど、民家とマンションなので写真は控えておきます。(余りにも鮮明に写るので、ちょっと申し訳ない気分になります...)

何もなさそうな通りにも、歴史をさかのぼると誰かが住んでたとか、何かが建ってたとか、何かが起こったとか、あまり有名ではないものの、隠れた史実が眠っています。

さて、次は何かな? どんどん歩きましょう。

アクセス

  • 京都市バス「二条城前」下車、徒歩8分

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