行きすぎる人々…
今回は「圓山応挙宅址」を訪れます。
「圓山応挙」、教科書などでは「円山 応挙」と書かれていると思うのですが、正式な旧字体では「圓山應擧」と書きますね。最近はパソコンやスマホの高速化、記憶媒体の大容量化によって、文字の変換も環境に依存することが少なくなってきたので、「圓山應擧」と記述してもいいとは思うのですが、なんか見にくいので「圓山応挙」と書きます。
ご存知のように「圓山応挙」は丹波の国出身の江戸時代の日本画家です。若くして京都の町に出てきた「応挙」は「石田幽汀(ゆうてい)」に入門して,狩野派の画法を学びました。それだけでは歴史に名が残らないのですが、「応挙」は狩野派の画法に宋元画の技術および西洋画の遠近法を加え,写実(写生)を重視した画風を興し、「円山派」と呼ばれる流れを形成しました。
その「圓山応挙」が住んでいた旧跡が「四条通り」にあります。
上の画像は現在の「四条通り」です。平成26年から工事をして平成27年に今の形になりました。現在、車道は各1車線の対面通行で、歩道と車道の間には、バス停やタクシー乗り場、「沿道アクセススペース」と呼ばれる車両の停車スペースが設けられています。今まではバス停のところで人があふれて、歩道の通行ができないという状況であったので、歩道は拡幅され、バス停は「テラス型バス停」という車道に張り出した形のバス停になりました。
歩行者からすると、以前に比べると格段に歩きやすくなったのですが、反面、車道はババ混みで平日の夕方や土日の昼間はバスが全然進みません。混んでる時にタクシーで四条通りに突入したら、メーターばかりが上がってイライラすることでしょう。
私は、移動時には地価の通路を使うので、歩道が広くなった恩恵はあまり感じませんが、菅公に来る方など、どこに何があるのかあまりわかってない方は、景観の良くなった歩道で、目的のところがすぐに見つけやすくなったのではないでしょうか。写真を撮ったのは朝の早い時間だったので交通量も少なく、人通りも少ないのですが、10時を回る頃には人がいっぱいになってきます。
昔はこの「四条通り」に市電と市バスが走っていたんですよ。今では想像もつかないでしょうけど。
さて、そんな四条通りですが「堺町通り」から少し東に行ったところの南側が、目指す「応挙」の住まい跡です。完全にビルの敷地内にありますね。
場所的には暗くてわかりにくいところです。
そんでまた、この駒札が年季物で汚れているのか、全然読めません。
「圓山応挙宅址」の石票は比較的よく読めます。
寛政7年(1795年)、名作である「保津川図」を描いた後に63歳で亡くなりました。お墓は太秦の「悟真寺」にあります。
諸説があるのですが、「応挙」は「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われています。
アクセス
- 京都市バス「四条高倉」下車、徒歩3分