清和院并土御門内裏址 清和院町の名が残る

夜伽に明け暮れた場は教会となる

今回は「清和院并土御門内裏址」の石票を見に行きます。清和院も土御門内裏も現在では当然存在しませんから「跡」ですし、「跡」の上には建物が建ってますので、石票だけです。

でも、石票があるということで、「ここにあった。」ということが分かるので、ありがたいです。そんでもって、大きな顔して写真が撮れるというのが私にとってもメリットです。石票がなければ、普通の住宅とかなんですけど、そこをええ年こいたおっさんが、ニタニタとした恍惚の表情で写真撮ってたら、やっぱりひきますよね。住宅の住人にとってはいい迷惑でしかないし、恐怖を感じるかもしれません。

で、今回の「清和院并土御門内裏址」も石票があるので大きな顔して撮ってきましたよ。

「土御門内裏」があった場所としては、以前に書きましたので、興味がある方はそちらの記事を見ていただくとして、「清和院」について見ていきたいと思います。

土御門大路 今日は「土御門(つちみかど)内裏跡」を訪ねます。「土御門殿(どの)」の方ではありませんので念のため。 「土御門内裏」は平...

「清和院」は平安時代にありました。「京都坊目誌」などによれば、「清和院」は今回訪れる場所にあったとのことですが、詳細は不明なんだそうです。

「清和天皇」を調べてみると、「文徳天皇」の第四皇子で母は太政大臣「藤原良房」の娘であり、9歳で即位し、27歳で譲位、30歳で出家して、31歳で亡くなるという何とも早世な人生です。で、在位中に14人の女御、10人の更衣、2人の宮人と子をもうけるという、何ともうらやましい境遇なのですが、政治に関してはあまり思いのままにはいかなかったようです。

もともとは第55代「文徳天皇」の第一皇子である「惟喬(これたか)親王」(この人も好きもの)が即位する予定だったのですが、第四皇子である「惟仁(これひと)親王」が「藤原良房」の意向で生後8ヶ月で皇太子となり、わずか9歳で第56代「清和天皇」として即位することになりました。藤原家による摂関政治の事実上の始まりです。「清和天皇」が16歳となった貞観8年(866年)には、「応天門事件」が起こり、「清和天皇」が信頼していた大納言「伴善男(とものよしお)」が失脚したことで、良房は正式に「摂政」となります。もうここまで来ると、藤原氏が実権を握ってしまって、「清和天皇」は政治に口出しすることはできません。貞観18年(876年)11月に、第一皇子の第57代「陽成(ようぜい)天皇」に譲位し、3年後の元慶3年(879年)に出家して、その翌年の元慶4年(880年)12月4日、31歳という若さでこの世を去りました。

多くの子をもうけた「清和天皇」ですが、皇子のうち4人、孫の王のうち12人が「臣籍降下」して「源氏」を賜りました。その中でも第六皇子である「貞純親王」の子、「経基王(源経基)」の子孫が著しく繁栄して「清和源氏」となり、「清和天皇」は「清和源氏の祖」とされています。

「源経基」を祀った「六孫王神社」のことを書いてます。

源経基(つねもと) ちょっと、たなぼた出世? 京都観光に来る方の多くは、JRなどに乗って「京都駅」に来られることが多いでしょう。その時には...

で、元に戻って「清和院」ですが、「清和院」があった場所というのは、京都のあちこちに言い伝えがあるようで、はっきりとは特定されていません。今回の場所も「京都市上京区清和院町」という名前も残っているので、「清和院」が存在していたのではないかと考えられます。

ちなみに現在の「清和院」は「京都市上京区一観音町」にあるお寺です。こちらは「染殿第」の南に「文徳天皇」が「染殿后」の要請で「仏心院」を建てて地蔵菩薩を安置したことに始まり、「清和天皇」が貞観18年(876年)の譲位後、「染殿」の南部分を御在所としたのに伴い改称されたものです。

では、「清和院町」の石票を探しに行きます。

「御所」横の「烏丸通り」から一本西にある「室町通り」をうろつきます。

清和院并土御門内裏址 No2

実は、上の画像のところにあったのですけど、見過ごして通り過ぎてしまいました。最近ダメです。注意力低下ですね。

清和院并土御門内裏址 No3

戻ってきて発見しました。

清和院并土御門内裏址 No4

「清和キリスト教会」の前に立ってます。

清和院并土御門内裏址 No5

「此辺 清和院并土御門内裏址」の石票です。

清和院并土御門内裏址 No6

「清和天皇」は出家後、京都市右京区の水尾に隠棲し、崩御の後は「清和天皇 水尾山陵」として「水尾山」の山中に葬られました。

「清和院并土御門内裏址」の石票がある「清和院町」は、名前の由来となった「清和院」があったということで、「清和天皇」がここに住んだのか定かではありませんが、この地は千年の時を経て、キリスト教会やホテルになっています。

人にはそれぞれの人生があり、土地にはそれぞれの変遷がありますねぇ。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸下長者町」下車、徒歩5分

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