少将井御旅所跡 霊水と藤原実資

まずは「少将井御旅所跡」

昨日は「大政所御旅所」を紹介しましたが、その中に出てきた「少将井御旅所跡」を訪れましょう。「少将井御旅所」も寺町四条の御旅所に統合されてしまったので今は残っていません。

その「少将井旅所跡」に建てられた「天王社」も遷移して御所の中にある「宗像神社」に「少将井神社」として鎮座しています。場所が近いので、両方ともめぐりましょう。

「大政所御旅所」のところで書きましたが、「少将井御旅所」には「櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)」がのる「東御座(ひがしござ)」の神輿が安置されていました。

ここが御旅所になる前から「少将井」は存在し、10世紀以降京都では疫病流行の時、ある特定の井戸の水を飲むと疫病を免れるという「霊泉・霊水信仰」が定着しており、「少将井」も霊水として信仰されてきました。

では、行ってみましょう。

御所の前にある、京都市バス「烏丸丸太町」で下車しましたよ。

少将井御旅所跡 No2

「烏丸丸太町」の交差点です。南を向いて立っています。

少将井御旅所跡 No3

「烏丸通り」を下ります。まだ7時前なのでほぼ車が走っていない状態ですよ。

少将井御旅所跡 No4

「烏丸通り」を丸太町から下がると、一本目の通りが「竹屋町通り」で、そこを超えるとすぐ目の前に「京都新聞」のビルがあります。こここそが、「少将井御旅所跡」になります。地名も「少将井御旅町」です。

少将井御旅所跡 No5

「烏丸通り」面した京都新聞の建物の一番北の端です。

少将井御旅所跡 No6

「少将井跡」の説明書きです。

少将井跡
少将井は平安京の各所にあった名水の一つで、「枕草子」にも名井として挙げられている。
所在地は京都市中京区烏丸通竹屋町下ル少将井町付近とされる。
名前の由来はさだかでないが、歌人の少将井の尼が住んだためとの説もある。
平安時代以降、祇園社(八坂神社)の御旅所があり、現在の祇園祭にあたる祇園会御霊会で神輿が巡航した。疫病を免れるための霊水信仰に基づくとされ、神輿は井桁の石に安置したという。
祇園社の御旅所は桃山時代ごろ、四条新京極に統合された。少将井にはその後も社が置かれていたが、上京区・京都御苑内にある宗像神社の社殿によると、明治十年(一八七七年)、同神社に移された。昭和四十七年(一九七二年)、京都新聞社が平安博物館(現・京都文化博物館)に依頼して発掘調査を実施した。平安時代の泉水は確認できなかったが、鎌倉時代から近代までの井戸跡が数大く見つかり、この地が良い水の恵まれ地域住民が利用していたことがあらためて確かめられた。
京都新聞社

少将井の跡

今度は南北に走る「烏丸通り」の一本東側にある「車屋町通り」に行きます。「京都新聞」の裏側の通りです。

少将井御旅所跡 No7

「竹屋町通り」との交差点から見た「車屋町通り」です。少し下がります。

少将井御旅所跡 No8

昔ながらの古い民家があるのですが、その前に「少将井跡」の石票があります。

少将井御旅所跡 No9

ぼーっと歩いていると見落としてしまいそうですね。

少将井御旅所跡 No10

「少将井舊跡」の石票です。ちょっと見えにくいですね。

少将井御旅所跡 No11

これでよく見えます。割合と新しい石票ですよ。

この地は、もともと文徳天皇の第一皇子であり、「木地師」の祖である「惟喬(これたか)親王」の「小野宮」に附属した土地で,右大臣「藤原実資(さねすけ)」に伝領されました。その頃にはすでに泉は有名で、近辺の人々も水を汲みにきていたということです。やがて祠が建てられ,「少将井社」と呼ばれるようになりました。「少将井」は「枕草子」にもでてきます。この地の邸宅もそれに因んで「少将井(もしくは少将院・少将井殿)」の名で呼ばれました。

なぜここで、「藤原実資」を出してきたかというと、こんな逸話があったのです。(自分で書き起こすのいもなかなか難しいので、Wikipediaから借ります。)

実資の邸宅であった小野宮第の北対の前によい水の出る井戸があり、付近の下女たちがよく水を汲んでいた。下女の中で気に入った女がいると実資はよく誰もいない部屋に引っ張り込んでいた。そこで頼通が一計を案じ、自邸の侍所の雑仕女の中から美人を選んで水汲みにやらせ、もし実資から引っ張り込まれそうになったら、水桶を捨てて逃げ帰るように命じた。案の定、実資はその雑仕女に手を出そうとしたが、予定通り女は水桶を捨てて逃げ帰った。後日実資が頼通を訪ねて公事について話をした際、頼通が「ところで、先日の侍所の水桶を返していただけないか」と言った所、さすがの実資も赤面し返事ができなかったという。

これは「古事談」にある話で、けっこう有名な逸話ですね。この中に出てくる「よい水の出る井戸」こそ、「少将井」のことでしょう。「実資」は名水をだしにして、よろしいことをしていたんですね。祇園会の御旅所として神輿が安置される「少将井」で悪さをするとは、ふとどき者、極まりないですね。ホントにうらやましい…

少将井神社

京都新聞の前にあった「少将井跡」の説明書きに書かれていた、「宗像神社」境内に遷移した「少将井神社」に参詣しましょう。

先ほどの「烏丸丸太町」のバス停のすぐ東に「間之町御門」がありますので、ここから御所に入ります。

少将井御旅所跡 No12

「丸太町通り」も交通量が少ないですよ。明るくなってきましたが、日の出前です。

少将井御旅所跡 No13

「間之町御門」です。

少将井御旅所跡 No14

「間之町御門」を入るとすぐ目の前に梅の花。

少将井御旅所跡 No15

「宗形神社」は「間之町御門」を入ってすぐ北のところです。

少将井御旅所跡 No16

境内一番奥の本殿戸の並びにあります。

少将井御旅所跡 No17

一番手前が「少将井神社」です。

少将井御旅所跡 No18

こじんまりとしていますが、金ぴかですね。

少将井御旅所跡 No19

「少将井神社」の石票です。

少将井御旅所跡 No20

もともと鎮座していた「少将井御旅町」の開発に伴って、この地に遷移してきたのでしょう。烏丸通沿いのにぎやかな土地よりも、御所の中の静かなここの方が、神様もゆっくりとできるでしょう。

少将井御旅所跡 No21

日の出です。昨日は天気が悪く雨模様だったので、今朝はもやがかかってます。今日はいい天気になりそうですね。昼間の気温が上がるようなので、桜のつぼみも膨らんでくることでしょう。

神社は移り変わり、人の生活も変わりますが、毎年春は訪れ、桜の花が咲きます。今年はどんな桜に出会えるか楽しみです。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸丸太町」下車、徒歩2分

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