麒麟がくる 岩城神社

光秀、八木城の内藤氏にてこずる

今回もお城は出て来ないのですが、以前紹介した「黒井城」や「八上城」と併せて丹波の三大城郭のひとつとなっている「八木城」の近くにある神社を紹介します。

天正7年(1579年)「織田信長」は「明智光秀」を総大将に第二次丹波平定に乗り出します。同年6月、光秀は何度か「八木城」の「内藤有勝」を攻めるのですが、強固な山城でなかなか攻め落とせません。

そこで「光秀」は作戦を立てます。「八木城」に内通者を工作し、謀反を起こさせることに成功します。6月27日、内通者が本丸と二の丸に放った火の手を合図に一気に攻め寄せて「八木城」を落城させました。

その後、「八木城」は西方の「波多野氏」に対する備えとして「光秀」によって改修、拡張され大規模化したようです。

今回は、「八木城」攻めの前に「光秀」が戦勝祈願したといわれる「岩城神社」に行ってみます。場所は千代川町の「北ノ庄」と呼ばれる集落のはずれです。

京都縦貫道から山の方に向かうとすぐに道は右方向にカーブしていくのですが、本道を離れて、まっすぐ続く細い旧道の方に進みます。集落の中をゆっくりと走って、もう峠の入り口ではないかい? と思う頃に「岩城神社」が見えてきます。

麒麟がくる_岩城神社 No2

旧道沿いに古い燈籠が並んでいます。右側の灯籠、すごい風格がありますね。

麒麟がくる_岩城神社 No3

「岩城神社」は旧道の横に鎮座していますが、入り口は本殿の真正面なので旧道から少し入ったところになってます。

麒麟がくる_岩城神社 No4

真正面です。立派な鳥居ですね。

麒麟がくる_岩城神社 No5

「岩城神社」の石柱です。

麒麟がくる_岩城神社 No6

「岩城神社」の神額です。

麒麟がくる_岩城神社 No7

手書きの古いご由緒書きですが、ここには「明智光秀」の戦勝祈願のことが記されています。大河ドラマに合わせた、にわかな逸話ではないことがわかります。

麒麟がくる_岩城神社 No8

境内の周りは一段高くなっていて、背の高い木々と一面の苔が神社の古さを引き立たせています。

麒麟がくる_岩城神社 No9

手水舎です。

麒麟がくる_岩城神社 No10

境内全景です。

麒麟がくる_岩城神社 No11

舞殿です。

麒麟がくる_岩城神社 No12

灯籠がでかい。

麒麟がくる_岩城神社 No13

ささ、本殿でお詣りしましょう。

麒麟がくる_岩城神社 No14

ここも灯籠が多いですね。

麒麟がくる_岩城神社 No15

本殿前まで来ました。

麒麟がくる_岩城神社 No16

屋根に近い部分の柱にはきれいな装飾が彫られています。

麒麟がくる_岩城神社 No17

ご祭神は、「市杵島比売命」・「大山咋命」です。「大山咋命」は亀岡盆地を開拓した神様だと伝わります。

麒麟がくる_岩城神社 No18

ちょっと変わったお顔の狛犬。

麒麟がくる_岩城神社 No20

毎年9月6日に「湯立祭」が行われるそうです。大きな釜で湯を炊いて酒と塩を入れて清めた後、笹を浸けて湯を振りまき、贖罪を祓い清め、悪疫の流行を防ぐそうです。

麒麟がくる_岩城神社 No21

社殿の側面。

麒麟がくる_岩城神社 No22

うさぎの彫刻でしょうか。

麒麟がくる_岩城神社 No23

こちらは龍の彫刻。

麒麟がくる_岩城神社 No24

よく見ると、そこらじゅうに彫刻があります。

麒麟がくる_岩城神社 No25

こちらの面は龍でしょうか。

麒麟がくる_岩城神社 No26

下から見上げた柱にも繊細な彫刻があります。

麒麟がくる_岩城神社 No27

今回、私はこれに心奪われました。

麒麟がくる_岩城神社 No28

このやれ具合といい、模様といい、風流ですね。

麒麟がくる_岩城神社 No29

本殿の右奥に摂社が鎮座しています。

麒麟がくる_岩城神社 No30

詳細は不明ですが、石造りの祠ですね。とても古そうです。

「光秀」はここ「岩城神社」で戦勝祈願し、この地「北ノ庄」から「八木城」に登って城を落としたそうです。ここから少し旧街道を上がって行ったところに「八木城」に続く山道が今でもあります。そこから攻めたのかなぁ。

こうなると、「八木城跡」にも行かないといけませんね。そのうち登場しますので、乞うご期待。

アクセス

  • 京都縦貫道「千代川IC」より、車で5分、ただし駐車場はありません。

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