真相は藪の中
最近は「真相は闇の中」と言われるようになってきましたけど、もともとは「真相は藪の中」です。これは「芥川龍之介」の小説から来た言葉です。
で、何が言いたいのかというと、「ホンマに明智光秀が造ったの?」と疑問なわけです。
Blog読んでくれてる方には 何のこっちゃ? と訳がわかりませんね。
では、最初から...
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」にかこつけて福知山市内を散策することにしました。当然、第1の目標は「福知山城」。市街地の真ん中あたりにあり、小高い丘の上なのでどこからもよく見えます。
で、その「福知山城」からもすぐそこに見えるのですが、住民の方々が「明智藪」と呼ぶ竹藪の堤があるんです。「明智藪」というと、京都市伏見区の小栗栖(おぐりす)にある光秀終焉の地として有名な「明智藪」を思い浮かべますが、全然関係がありません。
福知山を訪れる前の情報では福知山の「明智藪」は「明智光秀」が治水対策のために築いたという言い伝えがあるとかで「明智藪」と呼ばれるそうです。
ところが、よくよく調べてみると、「光秀が造った!」という確固たる証拠になるような文献は存在しないとのこと。あれま。観光案内には「明智藪」とでかでかと載ってますし、光秀公が治水工事を行ったとの記述もあります。
経緯を調べてみると、どうも「明智藪」と呼ばれるようになったのは戦後になってからのようであり、文件で初登場するのが昭和59年(1984年)と、歴史の流れの中ではつい最近の出来事。なんか怪しいですね。かつてはこの辺りで子供たちが泳いでいたということで「裏藪」とも呼ばれていたそうです。
もっと昔は「蛇ヶ端(じゃがはな)御藪」と呼ばれていたそうで、なんか誰かが恣意的に光秀とくっつけようとしたのではないかという疑念が湧いてきます。
では、現地調査に行ってみましょう。
「福知山城」から出てきて、北側の「お城通り」を渡ります。
立派な歩道橋ですね。直線ではなくゆるくカーブしています。
振り返ると「福知山城」。
ほんの少し歩くと「明智藪」到着です。
一見、何もないような普通の竹藪ですね。光秀公が造ったという証拠は見つかるでしょうか。
入り口に来ました。
では、いざ「明智藪」の中に。緊張の一瞬です。ゴクリ。
だいぶんと時間をかけて探し回りましたよ。
でも、タダの竹藪でした...
もう、へとへと...
残念ながら、今回の調査では光秀公が「明智藪」を造ったという証拠は出てきませんでしたが、う~ん、実際はどうなんでしょうかね。それこそ「真相は藪の中」に終わりましたね。
さて、福知山散策は続きます。もう一か所、ガイドにも載るような有名所を目指します。
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アクセス
- JR福知山駅から、徒歩約20分