平安宮 承明門跡 内裏の表玄関

ここが帝さまの生活場所

ここ何回か歴史に関する記事は、『麒麟がくる』の関連記事でしたが、私は日本の歴史の中では平安時代が割と好きです。別に京都に住んでるからとかいうのではなく、「雅」とか「華やかさ」が感じられる時代だからです。

特に紫式部が好きで(あんまり詳しくは知らないんですけど...紫式部が好きやて言うてたらカッコええから...うはは)、ゆかりの地を見て歩くのも大好きです。良くわかりもしないのに「やっぱり清少納言よりは紫式部!」とか偉そうに言ってます。

で、平安時代といえばやはり宮中での生活や出来事に興味があり、高校の古典の時間などはけっこう真面目に勉強していたのですよ。今となっては全部忘れてしまいましたが...

んで、今回は宮中の中心人物たる帝(みかど)さまがどんなところに「おはした」のか、現代の場所を見てみます。

まず、帝さまがおはした(いらっしゃった)のは、平安宮の中の「内裏」と呼ばれるところです。

内裏 ⇓

平安宮承明門跡 No10

上の図はWikiから拝借。(いつもお世話になります)

「内裏」は外郭に「建礼門」があって、その中の内郭に「承明門」があります。この内郭の事を一般的に「内裏」と呼んでます。帝さまはこの「内裏」の中におはしたのですよ。

以前、「紫宸殿跡」の案内板は紹介しましたので、今回は内裏の入り口にあたる「承明門」の跡に行ってみましょう。(跡といっても平安時代の何かが残っているとかではないですけど...)

そんでもって、やってきたのが「下立売(しもだちゅうり)通り」の「浄福寺通り」から少し西に入ったところです。

某、大阪ガス関連の会社の敷地のところに石柱が建ってます。通りの南側です。

平安宮承明門跡 No2

「平安宮内裏承明門跡」の石碑です。後ろに案内板もあります。

平安宮承明門跡 No3

「平安宮 内裏承明門跡」の案内看板です。

平安宮承明門跡 No4

平安宮 内裏承明門後

この付近から北方一帯は、平安宮(大内裏)の天皇の居所である内裏跡にあたり、1984年に当地で行われた発掘調査で、江戸・桃山・平安・奈良の各時代の遺構や遺物が見つかっている。そのうち平安時代の遺構は、敷地南寄りで凝灰岩の切り石及び河原石を並べた幅約80㎝の東西方向の新旧遺構が検出され、内裏正門の建礼門の内側にあった承明門の北側雨落溝跡(あめおちみぞ:雨水の排水溝)と判明した。
この溝を境にして北方は、白砂が敷かれた状態で見つかり、内裏正殿である紫宸殿の前庭は白砂が敷かれていたことも明らかになった。また、この雨落遺跡北方では、南北一直線上に9世紀中頃から11世紀末までの4箇所の地鎮め遺構が検出され、このうち1基は、11世紀中頃の輪宝(りんぽう)に橛(けつ)が打ち込まれた状態で出土、さらに据え置かれた土師器皿数枚の上に倒れた状態の壺も検出され、輪宝上面などには金粉、銀切板、琥珀片、ガラス玉、ガラス片、珊瑚片など、儀式の際にまかれた宝物なども見つかっている。この地鎮の遺構は、火災後に再建され天皇の新居入宅の際に行われたもので、天台密教の安鎮法(あんちんほう)による儀式で執り行われたを示し、地鎮め地点の記述や同時に出土した土器の編年から、延久3年(1071)の後三条天皇遷御(せんぎょ)の時のものと考えられている。
これらの祭祀場所は、承明門の中央、すなわち内裏の中央南北ラインの位置を示しており、内裏を復元する重要な定点となり、また、内裏の変遷や安鎮の祭祀を考える上でも貴重な発見である。なお、輪宝・橛ほか関係遺物は、一括して京都市の有形文化財に指定され、雨落遺構も地中の元位置で保存されている。

で、図から現在地を探すと...ちゃんと書いてありますよ、現在地。

平安宮承明門跡 No5

実は内裏の真正面、ちょうど真ん中あたり。恐れ多くも紫宸殿から見たど真ん中につっ立ってるわけですよ。

平安宮承明門跡 No6

ここが内裏の出入り口にあたる「承明門」。

上の写真は南向きで撮っているので、内裏から外を見ている方向ですね。

ならば、「承明門」から北方向の「内裏」の方を見ると...

平安宮内裏紫宸殿跡 No2

「...」

当然、以前紹介した「紫宸殿跡」の案内板がある某酒屋さん。

ちょっとロマンが崩れる感じもしますが、この辺りが宮中です。平安宮で帝さまがおはした(生活されていた)中心部です。(前庭の左近の桜、右近の橘があった辺かな...)

もう少し広域で見てみましょうか。

平安宮承明門跡 No11

「下立売浄福寺」の交差点から「承明門」の方(西)を見てみました。某酒屋さんが見えますね。「下立売通り」は一通の狭い通りです。恐れ多くも「前庭」を横切ってます。

平安宮承明門跡 No12

今度は北を向いて「浄福寺通り」方向です。もう少し先が「紫宸殿」です。道は狭く住宅が密集。

平安宮承明門跡 No13

でも、背の高いビルとかではなくて、少し古い住宅街であることが唯一の救いかな。この辺りに住んでる人たちは元「紫宸殿」というとってもありがたいところに住んでるということを認識されているんでしょうか。

ま、そんなことは住んでる現代人にとってはどうでもいいことで、わざわざ「紫宸殿跡」をありがたがって家を建てる人もいないでしょうね。

この近所には石碑とかいろいろ建ってますのでぼちぼちと紹介していきましょう。

アクセス

  • 京都市バス「千本丸太町」下車、徒歩7分

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