四条通り
京都の繁華街といえば、すぐに思いつくのがば「四条通り」です。「祇園祭り」でも有名ですね。四条通りは人通りの多い通りで、ビルがたくさん建っているのですが、御旅所があったり、神社があったりと、今と昔が入り混じった通りです。
当然いろいろな史跡、旧跡などもあるのですが、よく見ていないと見落としそうなものがたくさんあります。
今回の「佐賀鍋島藩屋敷跡」も、それを探そうという気がないと見落としてしまいそうな石票です。まぁここを通る99%の人は、興味を見せないでしょうけど。
私なんかは、石票や、石垣なんかがあると、周りを気にせず、どれどれとつぶさに見ては裏側に回り込んだり、しゃがんで写真を撮ったりと、「変な人」全開で、あまねく昔の痕跡を見つけようとするので、周りの人は引いていることでしょう。
ま、そんなことはどうでもいいんですけど、今日は「四条通り」の「堺町通り」にある「佐賀鍋島藩屋敷跡」です。
ビルの真ん前の、こんなところです。「佐賀藩」は現在の佐賀県や長崎県の一部にあった藩です。「佐賀藩」ってどんな藩だったか? 急には思いつかないですね。「佐賀藩」は「肥前藩(ひぜんはん)」と呼ばれていました。こういうとピンときますね。「薩長土肥」の「肥前」ですよ。「江藤新平」や「大隈重信」が有名ですね。
「佐賀藩」の藩主「鍋島家」は,肥前国佐賀で35万石余を与えられた外様大名です。35万石とは言っても、その実情は、3支藩、鍋島4庶流家と龍造寺4分家の各自治領があったため、藩主の実質石高は6万石程度でした。
元禄元年(1688年)頃からこの地に藩邸がありましたが,元禄14年(1701年)までに四条烏丸下る西側へ移転しています。また、幕末には上京区の上長者町通り智恵光院東入ルに移転しています。
アクセス
- 京都市バス「四条高倉」下車、徒歩1分