平安宮内酒殿跡 井戸の跡と木簡

数多く残る平安宮の遺跡

以前からGoogleMapなどで、ここに史跡があるとは知っていたのですが、訪れる機会がなかなかありませんでした。今回やっと行きましたので報告です。

今回は「平安宮内酒殿跡」ということで、「井戸跡」と「木簡」が出土したところです。場所は「丸太町智恵光院」から北に上がった「智恵光院通り」沿いなので、京都市バス「丸太町智恵光院」から歩いていきます。

北に向かって歩くと道が斜めになるのですが、そのまま道に沿って北に上がっていきます。

少し歩くと、「出水老人デイサービスセンター」の前につきますが、ここが目的地です。

平安宮内酒殿跡 No2

でん、と立派な建物が建っています。

平安宮内酒殿跡 No3

夕方なので、利用者さんの姿も見えません。

平安宮内酒殿跡 No4入り口前に案内が掲示されています。「平安宮内酒殿(うちのさけどの)」であった場所です。宮中で消費される酒を造っていたところですね。

平安宮内酒殿跡 No5

平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡

平安宮は平安時代に政治や儀式などが行われた所で、東西378丈(約1128m)、南北460丈(約1373m)の広大な地域に宮殿や役所が建ち並び、中央部には大極殿(現千本丸太町付近)が、北東部には天皇の居住した内裏がありました。現在地点は内裏の東側にあたります。
1996年5月、この場所で平安宮跡初の井戸を発見しました。井戸は一辺5.5m、深さ7mの穴を掘り、中央に2.1m四方の木枠を組み上げた巨大なものです。この井戸から文字の書かれた木の札が一枚出土しました。これは木簡と呼ばれるもので、役所に飯を請求した経緯が記されており、弘仁元年(西暦810年)に井戸が造られたこと、ここに内酒殿という内裏に納める酒を醸造した役所があったこともわかりました。

と書かれています。また出土した木簡には、

内酒殿 夫貮人料飯捌升 人別四升 山作 弘仁元年十月十八日 大舎人□□□

と書かれており、その内容は

内酒殿様

作業員二名の食料、米八升を支払うようお願い申し上げます。一日の食料は、作業員一名につき、米二升となっています。山作りの時に応援に行かせた作業員の分です。

弘仁元年10月18日 宮中の雑用を行う大舎人の□□□より

とのことだそうです。

一日、米二升も食べられるんですか。と、どんだけ大食いなんやと思ったのですが、当時の一升は現在でいうと0.4升ぐらいだそうです。一升が1.8リットルなので0.4升なら0.72リットル、二升なら1.44リットルなので、ほ~ん、そんなもんか、という感じですね。でも玄米でしょうからもみ殻取ってしまったら、大分と少なくなってしまいそうですね。

「井戸跡」が見学できるかと、ちょっと期待したのですが、「井戸跡」は残念ながら建物の下に埋まってしまってますので見ることができません。こういう史跡も見学できる形で保存してほしいですね。

アクセス

  • 京都市バス「丸太町智恵光院」下車、徒歩7分

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