麒麟がくる 本能寺跡 逆賊の反旗

織田信長 野望潰える

来年の1月から始まるNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が話題になってますね。現在の大河ドラマがちょっと不振なので、次回作に期待が寄せられているのでしょう。

それにもまして、我々「亀岡民(地元では亀人:かめじん:という)」は、ハラハラドキドキの毎日を過ごしています。なぜかというと、亀岡と言えば かつて「亀山城」があり「明智光秀」由縁の地として昔から地域振興や観光の柱としてきたのですが、どうも今回の大河ドラマでは「福知山市」や「京都市」に観光客を取られてしまうのではないかという懸念があるからです。逆賊としてのレッテルを張られている「明智光秀」を郷土の英雄として「亀岡 光秀まつり」を行い、市のマスコットキャラクターも「明智亀丸」と、昔から大々的に頑張ってきたのですが、なんか盛り上がっているのは地元だけで、いまひとつ「亀岡」の知名度が上がりませんね。よく考えてみると、史跡として「亀岡」市内に残っている明智光秀ゆかりの地にあまり有名なものがないからでしょうか。こればかりは今から作ることはできないですしねぇ。

ということで、年末まで「麒麟がくる」に期待して「明智光秀」ゆかりの地を訪れて、紹介していきたいと思います。

まずは、「明智光秀」=「本能寺の変の首謀者」という歴史で習った公式にのっとって、「本能寺跡」に行ってみましょう。

現在「本能寺」というと「寺町通」の御池を下ったところにあるんですけど、ここは「焼き討ち」のあった「本能寺」ではありません。「太閤秀吉」が無理やり移転させた後の「本能寺」です。もともとの「本能寺」、焼き討ちのあった旧本能寺はもっと西の堀川通りに近いところにありました。場所でいうと、「油小路」と「西洞院通」に挟まれたところの「蛸薬師(たこやくし)通」よりも北側に当たります。

では、行ってみましょう。

麒麟がくる_本能寺跡 No2

これは「蛸薬師」通りです。一方通行の細い道です。京都市内と言えば盆地なので、地面が平坦なのだろうと思われる方が多いですが、東西方向には写真の様にけっこう小さな上がり下がりがあるんですよ。

麒麟がくる_本能寺跡 No3

で、やってきました「油小路蛸薬師」の交差点。この建物(本能特別養護老人ホームや京都市立堀川高校 本能学舎)の西側に石碑があるのですが、ここは「本能寺跡」ではありません。

実は「蛸薬師通り」よりも北側が「本能寺跡」だそうです。

上の画像の左の通りの反対側が、焼き討ちのあった「本能寺」、「明智光秀」が主君「織田信長」を葬り去った「本能寺」の跡です。

※「蛸薬師通」から北側は、一般の住宅やマンションが林立していますので、写真は避けます。ご自分の目でご確認くださいね。

麒麟がくる_本能寺跡 No4

油小路を少し下がると、立派な「本能寺跡」石碑が建っています。

麒麟がくる_本能寺跡 No5

この碑文を見てみると、

本[ノウ]寺跡記
応永二十二年(一四一五)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を
弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して
「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(一四二九)
小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享五年(一四三三)
如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、
本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。その後、
天文五年(一五三六)天文法乱によって焼失。天文十四年(一五四五)
第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此の地に
移転、壮大な堂宇の再興を見た。然るに天正十年(一五八二)
彼の「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正十七年
(一五八九)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より
鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜらる。一山の大衆声を
放って号涙すと、因みに本能寺は度々火災に罹りたるをもって
「ヒヒ」と重なるを忌み、能の字を特に「[ノウ]」と書くのが慣しである。
大本山 本[ノウ]寺

と書かれています。本文中の[ノウ]は

という字なのですが、当然IME変換では出てきません。歴史的な流れから「火」を避けているのですね。

麒麟がくる_本能寺跡 No6

百日紅(さるすべり)がきれいに咲いています。

麒麟がくる_本能寺跡 No7

朝早く、日陰のちょっと逆光気味。コンデジでは撮りにくいなぁ。

麒麟がくる_本能寺跡 No8

こんなきれいな色なんですよ。

麒麟がくる_本能寺跡 No9

で、この建物をよく見ると、「焼き討ち」のあった「本能寺跡」が「本能消防分団」となっているのは、ちょっと面白いですね。

麒麟がくる_本能寺跡 No10

最近は消防もおしゃれなたたずまいになってるんですよ。さすが都会。かっこいい。

で、実は、「本能寺跡」を示す石票がもう一つあるんですよ。こっちの方が古くからあるのですが、GoogleMapには現在載ってないので、ちょっと注意。

麒麟がくる_本能寺跡 No11

場所は、「蛸薬師通」と「小川通」の交差点、南西角。これは見落としてしまいそうですね。さっきの交差点から、東に通り一つです。

麒麟がくる_本能寺跡 No12

「此附近 本能寺址」の石票。石票の下の方だけ白っぽいのは、この周りが整備されるまでは地面の中に埋まっていた証拠です。で、地面付近だけ黒っぽいですね。これが石票の「歴史」なんですよ。

この石碑の反対側が当時の「本能寺」の門前であったようです。京都市内の中心部は「応仁の乱」や「蛤御門の変」の「どんどん焼け」など、幾度かの大火で焼失しているので古い建築は残っていません。なので、残念ながら当時の場所を指し示す「石票」が史跡となってしまいます。(寺町に移転した「本能寺」は「どんどん焼け」で焼失しています。ほんとに火にによって 災厄が降りかかる お寺ですね。)

さて、期待の「麒麟がくる」はどんなドラマになっているんでしょうか。とっても楽しみなんですけど、ドラマが始まると、関係した史跡・旧跡がいっぺんに混んでしまうので、今のうちに紹介していきましょう。

アクセス

  • 堀川通りから 京都市バス「堀川蛸薬師」下車、徒歩5分
  • 四条通りから 京都市バス「四条堀川」下車、徒歩10分

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