石上布留社(石上神社) 東寺とともに

阿刀氏と空海

京都市南区にある「石上布留社(いそのかみふるしゃ)」に行きました。通称「石上神社」で通ります。ここもガイドブックなどには載りませんが、由緒正しき神社なんですよ。

簡単に言うと、この地は「空海」の母方の実家であった「阿刀氏」の屋敷跡だそうです。阿刀氏は「物部氏(後の石上氏)」と同祖伝承を有しており、ここが「石上神社」と呼ばれるのも納得ですね。

その「阿刀氏」の中に「阿刀大足(あとのおおたり)」という人がいました。奈良時代から平安時代の学者で「空海」の母方の叔父です。「空海」の父は「佐伯善通」でその実弟である「大足」が阿刀氏に婿入りし、「空海」の母である「阿古屋」の妹と結婚して阿刀氏を継ぎました。なんかややこしいですね。

「弘法大師空海」といえば「真言宗開祖」なのですが、この若き「空海」は「阿刀大足」を頼って上京し、大足から「論語」はもとより、「孝経」、「史伝」、ひいては「中国語」まで習い、大足の援助をうけて入唐したそうです。現在の真言宗があるのは、「大足」がいたから、阿刀氏の力があったからと言っても過言ではないと思います。

「弘法大師空海」は弘仁14年(823年)正月、太政官符により第52代嵯峨天皇より「東寺」を賜り、「大足」が宰主となってこの地を真言宗の政所としました。その後、東寺の組織では「執行職(しぎょうしょく)」と呼ばれ、歴代の世襲職となり、近代の1871年に廃止されるまで続きました。

この長きにわたって「石上布留社」は阿刀氏の祭壇として祀られてきました。

では、行ってみましょう。

石上神社 No2

こういうの大好きです。東京や大阪の高速が交差しているのもいいのですが、こじんまりとしていて近くに行けたり、歩いて通れたりするのがベストです。ちなみに、地上の通りは八条通り、右手から伸びている高架が「大宮通り」、その下に通っているのが「JR東海道本線」、一番高いところにあるのが「JR東海道新幹線」です。そして、一番下の地上の「大宮通り」は人間も通れます。

石上神社 No3

一番下の「大宮通り」とその上の「JR東海道本線」。電車、通過中です。

石上神社 No3

さて、そんなんはどうでもいいので、本題です。最初の大宮八条の交差点を南に向かいます。高架橋の「大宮通り」が地上に降りる少し手前に西に向かい小さな路地があります。

石上神社 No4

ここのどん突きですよ。 正面に鳥居が見えますね。

石上神社 No5

これです。けっこう立派な鳥居でちょっとびっくりしてしまいます。

石上神社 No6

鳥居の元には「行者神愛(?)大菩薩」とよめますね。

石上神社 No7

反対側には石碑があります。すんません。細かく見てきませんでした。

石上神社 No8

そしてこれです。「石上神社」の石票です。「稲荷神社」と刻まれています。また「阿刀宿□」と刻まれています。「□」は多分「禰」という字の異字体だと思うのですが、間違ってたらごめんなさい。天武天皇13年(684年)の「八色の姓」制定にあたって「宿禰」を賜っているので合っていると思います。

石上神社 No9

本社は「覆屋」になってます。こちらはけっこうこじんまりとしたお社ですね。

石上神社 No10

ご祭神は「石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)」が祭られており、相殿に「阿刀大神(あとおおかみ)」が祭られているそうです。

石上神社 No11

創祀や変遷は不明なのですが、823年から続いているとすると、1200年の歴史があるんですね。

石上神社 No12

周りには末社があります。

石上神社 No13

たくさんあるのですが、説明書きなどがないので、どんな神様が祀られているのかは不明です。境内の案内には「三輪、伊勢、賀茂、石清水、二天夜刃(やしゃじん)、行役小角(ぎょうじゃ、役小角:えんのおづぬ)、稲荷、弄鈴(なるこ)、王仁(わに)、空海大神」の十柱が祀られているとのことです。

石上神社 No14

東寺の境内からは外れていますが、当時の歴史そのものを見てきた「石上布留社」です。「東寺」を訪れた際には、ちょっと足を延ばしてみてください。

アクセス

  • 京都市バス「東寺東門前」下車、徒歩5分

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コメント

  1. コヤマ より:

    はじめまして。京都市南区在住のコヤマと申します。

    京都市南区にある「石上布留社(いそのかみふるしゃ)」記事に鳥居の元には「行者神愛(?)大菩薩」とよめますね。とありますが、石票に書かれているのは「愛」ではなく「変」の旧字体の「變」です。「行者神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」=役行者、役小角のことです。

    私は自転車で東寺にお参りできる距離に住んでいるので、東寺にお参りしたときは、「石上神社」と同じ境内にある波切不動明王もお参りするようにしています。
    何しろ案内板に「四国路、東寺、高野山などの霊地に参りても、ここ弘法大師のお地盤の明王に参らざれば、御りやくが、頂けないのだと言って有名である」と恐ろしいことが、さらっと書いてあるものですから。こんな大事なことは、四国路、東寺、高野山のあちこちに大きな立て看板をするべきです(笑)。
    普通の方は、四国八十八箇所を廻り、最後にもう一度、一番札の霊山寺にお礼参りをして「結願」。その後、高野山の「奥の院」にお礼参りをして「満願」。最後に、京都の東寺にお参りして「成満」。これで完璧なお参りできて、御りやくが頂けると思っておられるはずです。

    • Jun@Kyoto より:

      コヤマさん、はじめまして。

      ご指摘、ありがとうございます。「変」という字が正解なんですね。なんか、やっと意味が通った感じです。なんでこんなとこに「愛」が出てくるんだろうと、ずっとどっかに引っかかっていたのが、すぅーっと取れましたよ。「役行者」を指すんですね。
      私も定年後は、四国八十八箇所廻りをしたいなぁと思っています。ご利益もいただきたいのですが、バチ当たりな人生を歩んできた私には、なんぼ慈悲深い仏さんでも、おまえはアカン、精進しろ!と怒られそうです。その時まで歩んできた人生を見つめなおして、残りをどう生きていくかを考えるきっかけになるといいと思っています。
      石上布留社も波切不動明王ももっと世間に知られて、多くの人が参詣するようになると良いですね。

                 Jun@Kyoto