弘法閣大師堂 鵲大師堂

出水通り

前回は「石上布留社(石上神社)」を訪れましたが、今回は「弘法大師」つながりで、「弘法閣大師堂 」を訪れます。

「弘法大師空海」は真言宗の開祖というだけあって、日本全国にゆかりの史跡や旧跡が残っています。空海が通った道だとか、腰かけた場所だとか、後世の人はそんなところまで有り難がって言い伝えたんですね。それだけ「空海」が偉大な人物であったことのあかしなのでしょう。

今回の「弘法閣大師堂」は創建や変遷が不明なので、直接に「空海」と縁があったのかはわかりません。しかし、ご本尊の「弘法大師坐像」は、厨子とともにお堂の中の井戸から出現したものだと伝わります。また他の伝承では、「大日如来」であって近くの井戸から出現したものだという説もあります。なので「大日大師堂」とも呼ばれています。

そして、この「弘法閣大師堂」は「鵲大師(かささぎだいし)」とも呼ばれています。「空海」が「鵲」となにがしかのエピソードがあったのかと、ちょっと心わくわくしたのですが、そんな話はみじんもなく、「鵲」と関係ありそうなのは、太閤殿下(豊臣秀吉)の「聚楽第」が近くにあって、その庭園にかかっていた石橋が「鵲橋」という名前であった、ということ。なので、もしかするとここのご本尊である「弘法大師坐像」は、「鵲橋」の近くから見つかったのではないでしょうか。この近くにある「松永稲荷社」には「聚楽城鵲橋旧跡」の石標がありますし、それと、太閤殿下が好んで茶の湯の水に使った「梅雨の井」もこの近くです。そして、「弘法閣大師堂」のある「天秤町」の名前は、「聚楽第」の南外堀(天秤堀跡)の二つの堀が左右対称の形に造られていて「天秤」に似ていたことからつけられたのだそうです。

なんにしても、太閤殿下が聚楽第を建てたころ以降のお堂ということになると思われます。ではでは、行ってみましょう。

弘法閣大師堂 No2

近くを歩いているときに発見した住所表示です。「八瀬かまぶろ温泉 ヘルスセンター」と書かれていますね。「ヘルスセンター」の文字が何とも誘っている印象なのですが...

弘法閣大師堂 No3

この辺りには、こんな古い旧家が残っています。

弘法閣大師堂 No4

大事に保存してほしいですね。

弘法閣大師堂 No5

こんなところにも「仁丹」の住所表示。

弘法閣大師堂 No6

やっと発見。「弘法閣大師堂」です。一瞬「えっ?」ってなるでしょ。

弘法閣大師堂 No7

まるまる一軒家なんですよ。周りは駐車場になってしまいましたが、昔は住宅の並びの中に何食わぬ顔をして並んでいたのでしょうね。

弘法閣大師堂 No8

「弘法大師」と書かれた変額です。歴史がありますね。

弘法閣大師堂 No9

大失敗。久々にピンボケやってしまいました。

弘法閣大師堂 No10

こちらは御詠歌です。

弘法閣大師堂 No11

表の戸はガラス張りなので、格子の隙間からちらりと中を...「鵲弘法大師」と提灯に書かれていますね。

弘法閣大師堂 No12

ご本尊の「弘法大師坐像」は、あの中なのでしょうか。

「空海」といば「東寺」や「仁和寺」が頭に浮かびますが、市井のあちこちに「空海」に関する史跡や旧跡、お堂はたくさんあります。京都市内を歩くときにはちょっと気にかけてみてください。

アクセス

  • 京都市バス「丸太町智恵光院」下車、徒歩12分

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