島原住吉神社 再興

遊郭 島原の鎮守社

少し前に訪れたのですが、今回は「島原住吉神社」を紹介します。

「島原」は遊郭のあった「島原」です。現在の通りで言うと千本通りの五条を下って行った所です。この辺りは観光地としての「島原」が残っているのですが、そのほかにはあまり目新しい何かがありません。なので、昔の雰囲気を感じたい人にはお勧めの場所です。京都市バスで行くと街中の割には少し不便な場所ではありますが、JR嵯峨野線の「丹波口」駅のすぐ近くなのでJRで嵯峨嵐山に行く方は、ちょっと寄ってみてもいいかもしれません。

島原住吉神社 No2

JR嵯峨野線の高架のすぐ横です。こじんまりとしていますが、江戸時代、島原が栄えていたころには広大な境内を持っていたそうです。

島原住吉神社 No3

「島原住吉神社」の案内石碑です。

島原住吉神社 No4

その横には「島原西門碑」の石碑と石刻があります。島原の入口は,当初は東の「島原大門」だけだったのですが,享保17年(1732年)に西門が設けられ,天保13年(1842年)には、この地に「島原西門」として大門が建てられた。近年まで立派な高麗門が建っていたのですが,昭和52年(1977年)と平成10年(1998年),2回もの交通事故により「島原西門」は倒壊してしまいました。なので今はこの石碑が残るだけになってしまってます。

この石碑、紹介しているHPなどもあまりないので載せておきます。

島原西門碑
島原は、寛永十八年(一六四一)、官命によってその前身の六条
三筋町の傾城町が、ここ朱雀野に移されたことに始まる。その移転
騒動が当時九州で勃発した島原の乱を思わせたところから、一般に
「島原」と呼ばれたが正式地名は、西新屋敷という。島原は江戸期
を通じて公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してい
くが遊宴を事とするにとどまらず和歌俳諧等の文芸活動を盛ん
にし、ことに江戸中期には島原俳壇を形成するほどの活況を呈した
島原の入口は当初東の大門のみであったが享保十七年(一七三二)
に西側中央部に西門が設けられた。それは両側に門柱を建てた
だけの簡略なものであったが天保十三年(一八四二)に現在地に移
され、構えも冠木門に切妻屋根、さらに控柱に小屋根を設ける
高麗門型となった。
近年まで島原の西門として偉観を伝えていたが昭和五十二年
(一九七七)十一月輪禍によって全壊した。三年後に門柱のみが復元
されたが平成十年(一九九八)四月、再度の輪禍に見舞われ
てそれも倒壊した。
よって、ここに碑を建立して、島原西門の由来と往時の形
容を刻するものである。
平成十年十二月吉日 島原地区自治協議会

島原八景の内
西口菜花
成章

花の色は
いひこそ知らね
咲きみちて
山寺遠く
匂ふ春風

成章は富士谷氏 国学者 安永八年(一七七九)没 年四十二

島原住吉神社 No5

ささ、お詣りしましょう。御神灯には青の三つ巴が描かれています。青を使っているところって そうそうないのではないでしょうか。

島原住吉神社 No6

鳥居にある「島原住吉神社」の神額です。

島原住吉神社 No14

手水舎がありますが、井戸は残念ながら涸れているようです。

島原住吉神社 No7

拝殿です。

島原住吉神社 No8

「宇賀宮」と書かれていますね。「宇迦之御魂神(うかのみたま)」でしょうか?「宇賀弁才天」でしょうか?

島原住吉神社 No9

こちらは本殿です。「住吉神社」の神額です。

島原住吉神社 No10

手前にしかピントが合いません。ちょっと残念。

「島原住吉神社」は、島原中堂寺町にあった「住吉屋太兵衛」の住まいに「住吉大明神」として祀られていたのが始まりだそうです。

江戸時代、享保17年(1732年)には良縁のご利益があるとして参詣者で賑わい、島原の西北に遷座して「島原住吉神社」として建立されました。この時にはとても広い境内であったそうです。例祭のときには島原太夫、芸妓らの花王行列である「練りもの」が行われていました。

ところが明治時代になると「島原」も徐々に衰退し、明治元年(1868年)に出された「神仏分離令」後の廃仏毀釈の波を受けて廃社となってしまい、ご祭神は「歌舞練場」内に遷されることになりました。

しかし島原では「島原住吉神社」を復活させようとする動きがあり、明治36年(1903年)、京都府船井郡本梅村(現在の亀岡市本梅町)から無格稲荷社の社格株を譲り受けて、現在地に再興される事となりました。ところが境内は狭まり、「島原住吉神社」という社名は付けられることが許されず、稲荷神社とされたのでした。

そして現代、平成11年(1999年)、社殿、拝殿が改修され、社務所も新築されます。平成13年(2001年)、社名を「島原住吉神社」に改めることができ、念願が達成されたのです。地元の熱い想いというのはとっても大事ですね。

島原住吉神社 No11

お隣にも境内末社があります。

島原住吉神社 No12

「幸(さいわい)天満宮」です。「幸天満宮」は、かつて「揚屋町会所」に天神さんの祠として祀られていたのですが、江戸時代、享保19年(1734年)に現在地に遷されました。筑紫国の「太宰府天満宮」に倣って、延享5年(1748年)から始まった「鷽替(うそかえ)神事」というのがあったのですが、明治以降に廃れたそうです。

島原住吉神社 No13

石碑があるんですけど読めません。

島原には当時の面影を残す建築や史跡が残っています。休日でもそんなに混むところではないので、ゆっくりと見て回ってはいかがでしょうか。

アクセス

  • 京都市バス「京都リサーチパーク前(五条千本)」下車、徒歩6分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする