夏目漱石の句碑 48歳ロマンチスト漱石

 やっぱり 漱石といえばロマンス

御池通りを車で東に向かって走っていくと、鴨川に架かる御池大橋を超えて、川端通りでどん突きになります。市営地下駐車場の出入り口が道の真ん中にあり、いつも以上に交通に注意しているので、そのあたりに何があるのかなんてあまり覚えていません。それも、漱石の句碑があるとは知りませんでした。

夏目漱石の句碑 No2

夏目漱石の句碑 No3

橋の上は広い通りで、センターよりの車線が市営地下駐車場の出入り口になっています。赤いポールが立っています。

夏目漱石の句碑 No4

句碑のそばから三条大橋を望みます。

夏目漱石は生涯に4回京都を訪れています。その4回目、亡くなる前年に訪れたときに一人の女性と恋に落ち、この句碑の句を詠みました。

川を隔てた恋

御池大橋の西詰め、南側の歩道に夏目漱石の句碑があります。

夏目漱石の句碑 No5

以前は駒札もなく句碑だけがあったそうで、京都民もなかなか気づかないことが多く、市に苦情が寄せられたそうです。で、やっと駒札が立ったということです。

夏目漱石の句碑 No6

「木屋町に宿をとりて 川向の 御多佳さんに」「春の川を隔てて 男女哉 漱石」と書かれています。

夏目漱石の句碑 No7

漱石は木屋町御池の旅館「北大嘉(きたのたいが)」に宿泊しましたが、このあたりがその場所だそうです。

磯田多佳(いそだ たか)という女性は、祇園白川のお茶屋「大友(だいとも)」の女将です。小説好きで、俳句や書画もたしなむ女性で、谷崎純一郎、吉井勇、志賀直哉などの作家だけでなく、浅井忠(ちゅう)や横山大観などの画家とも親交があったそうです。漱石のファンだった磯田多佳は、この時、初めて漱石に会います。漱石は体調を崩していて、この旅行も病気療養のためでした。その後に漱石が胃も患ったことから、彼女が看病をしていたということです。

晴れたら一緒に北野天満宮へ梅見に行く約束をした漱石と多佳でしたが、ある日、2人の間に小さな行き違いが起こりそれは叶いませんでした。漱石は、宿泊している北大嘉から鴨川をはさんだ祇園の多佳に思いを馳せながら句を送ったそうです。

天の川を隔てて歌を送る男のロマンを感じてしまいます。こうして漱石は29日間の滞在を終えて京都を離れます。

夏目漱石の句碑 No8

「川の向こうには、御多佳さんがいる…」

ああロマンチスト、漱石この時48歳 うらやましいですね。

このあたりの木屋町は昔の風情も残っているし、人通りもそんなに多くはないので、少し散策してみてはいかがでしょうか。

アクセス

  • 京都市バス「京都市役所前」下車、徒歩2分
  • 京都市営地下鉄「京都市役所前」下車、徒歩2分

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