屯所はどこに...
さて、今回は「新選組・不動堂村屯所跡」の第3弾です。
不動堂村屯所跡 その1
不動堂村屯所跡 その2
「不動堂村」に屯所が設けられたのは間違いないのですが、正確な場所が文献に残っていないので詳しくわかっていません。幕末なので、京都の歴史からすると、つい最近なのですけど...
今までの「碑」は「堀川通り」の東側だったのですが、今回は「堀川通り」の西側になります。その場所は、「リーガロイヤルホテル京都」の真ん前です。
では、行ってみましょう。
「堀川通り」の塩小路交差点にある「リーガロイヤルホテル京都」です。右側の欄干の外側が堀川通りの車道です。
で、その入り口にあるのが「新選組・不動堂村屯所跡」の石碑です。
「誠」の旗印が目立つ石碑と案内書きがあります。
事あらばわれも都の村人となりてやすめん皇御心
新選組局長 近藤勇
この石碑、かっこいいですね。
石碑の横の案内書きです。
この付近 新選組 不動堂村屯所跡
新選組が屯所を西本願寺から不動堂村へ移転したのは、近藤勇らが幕府直参になった五日後の慶応3年(1867)6月15日であった。移転に際し、土方歳三の指示で吉村貫一郎が西本願寺と交渉の末、建築費並びに諸経費を西本願寺が負担することになった。
屯所の広さは1万平方メートル。表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、近藤、土方ら幹部の居間、平隊士の部屋、客間、馬屋、物見中間と小者の部屋、大風呂は30人が一度に入れた。大名屋敷と比べても遜色ない構えだった。12月14日、伏見奉行所へ引き払うまで6ヵ月間、屯所として使用した。2003.6.15
霊山歴史館 木村幸比古 識
屯所の広さは1万平方メートルと書かれているので、単純計算でも100m四方の広さがあったということです。とっても広いですね。この屯所跡も6か月間ほどしか使われなかったとのことで、新撰組は伏見へ移ります。度重なる移転によくも財政が持ったもんですね。
やはり不動堂村には6か月しかなかったということで、正確な位置が残ってないのでしょう。現代の歴史的見解としては その1 で紹介した「京湯元 ハトヤ瑞鳳閣」あたりが、ホントの屯所跡ではないかということです。
ま、あちこちの場所が名乗りを上げてくれている方がロマンがあっていいんですけど。
アクセス
- 京都市バス「下京区総合庁舎前」下車、徒歩3分