袋中庵墓地 意味が分かれば絶景

あまり人が行かないところなのですが...

前回、京都市北区の西賀茂にある「日之出稲荷社」を紹介しましたが、その時に」石票を見つけて気になった「袋中庵墓地」に行きます。

「墓地」と聞くと、「怖い」、「行かない方が良い」と思う方が多いですね。私も夜は絶対にいけません。勘弁してほしいです。でも、昼間は特に何の恐怖心もなく行くことができます。なんなんでしょうね、この気分の違いは...

「墓地」というのは「お墓」ですから、当然「死者」を葬るところです。なので不敬や冒涜はいけないですが、お参りすることに対しては善い行いなのではないでしょうか。仕事柄、死者に対しては特に「怖い」という思いもなく、火葬して埋葬するものという思いしかありませんので、他の方に比べるとあっけらかんとしているのかもしれません。

人間死んだらそこまで、現世で使わせてもらった生身の体は、火葬して大地に戻るのが自然の摂理でしょう。なので、特に「墓地」に行くのは故人を思うことだと思っているので、あまり障壁は感じないのでしょう。一人で行っても特に何も感じませんし、心霊現象にあったこともありません。(あってるのかも知れませんが、鈍感なのでわかっていないだけかもしれません。)

ところが、日が暮れて真っ暗になると、これはもう絶対にダメです。なにがあってもだめです。怖くて行けません。一人で行くなんて、もってのほか。

なので、今回も昼間です。

袋中庵墓地 No2

前回、使った画像です。西賀茂の西の山手の住宅街から未舗装の道を歩きます。ほかの道は舗装されているのに、なぜかしらここだけは未舗装。なかなか人が入ってこないですね。

袋中庵墓地 No3

とぼとぼと、道を歩くこと5分弱。「日之出稲荷社」の入り口の向こうに石票が見えてきました。梅雨の雨間なので、緑が鮮やかです。

袋中庵墓地 No4

「袋中庵墓地」の石票です。石票の左側は「日之出稲荷社」、右側のフェンス沿いに上がっていった先が「袋中庵墓地」です。坂が急なので、コンクリートの階段が設けられています。普通は「墓地」と石票があれば中には入りませんよね。気になって行ってしまうのは、私が変人だからでしょうか。

袋中庵墓地 No5

だいぶんと上がってきました。多分「南無阿弥陀佛」と刻まれていたであろう石碑。経年変化で崩れています。

袋中庵墓地 No6

白壁の向こう側が「袋中庵墓地」です。手前には無縁仏となったのであろう墓石が置かれています。

そもそも「袋中庵」とは尼僧「袋中」が東山区に結んだ草庵で、「五条坂の袋中菴」と呼ばれた尼僧の道場でした。その後、公家や貴族が作法を学ぶ所となったのですが、宮家の位牌を祀る「香華所」ともなっています。神仏分離令後の廃仏毀釈に遭って衰退し、近代「八瀬別院」「花園御堂」が建てられ、現在は「御室(おむろ)小学校」の隣になっています。

袋中庵墓地 No7

石段を上がった白壁の中には東を向いてお墓が並んでいます。お墓の数はそんなにたくさんありません。「袋中庵」に関係の深い方々のお墓なのでしょう。

袋中庵墓地 No8

ここから見る風景はなかなかきれいですね。昔はこんなに建物はなくて、田んぼと畑が広がっている西賀茂だったんですよ。

そんでもって、この風景の素晴らしいところは何かわかりますか?

ど真ん中にある「木」は関係ないので除外して、建物の向こう側に低い山が見えますね。この山が「上賀茂神社(賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ)」の背後の山なのです。そして、画像左の方で、木に隠れかかっている山の辺りが、上賀茂神社の御祭神である「賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)」が天降りされた「秀峰・神山(こうやま)」です。なんと、神代のドラマを眼下に見下ろせる絶景地なのですよ。

その向こうに見える遠い山は「比叡山」です。

袋中庵墓地 No9

もう少し南の方は「右大文字(如意ヶ岳)」です。うっすらと「大」の字が確認できます。

こうしてみると、一枚の何の変哲もない写真が実は大きな意味を含んでいるというが分かっていただけたでしょうか。

こういうことがあるので、そこかしこと色々な所に立ち入ってしまうんですね。良いのか悪いのかよくわかりませんが...(9割がたは、ハズレで徒労に終わります。)

アクセス

  • 京都市バス「西茂車庫前」下車、徒歩15分

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