桃山御陵のすぐ隣
前回の最後に、「もう一つ気になるところがある。」と書きましたが、今回はそこの紹介です。

前回にも登場した「京都一周トレイル」の標識ですが、点線部分を通ってもいいのにわざわざ実線部分を本コースとしていますね。その先にトイレがあることを示しているのですが、それだけではなくて「乃木神社」と書かれています。せっかくなので、寄ってみましょう。

あの分岐を右に行くと「乃木神社」です。

分岐点を曲がってしばらく歩くと横断歩道があります。ここを右に曲がると「乃木神社」に到着し、左に曲がると「京都一周トレイル」に戻れます。

道路にある一の鳥居です。

鳥居のすぐ先が「神門」です。

「乃木神社」の石票です。立派ですね。

「神門」前の御神灯。

「乃木神社」の駒札です。けっこう古くなってますね。

その横にあるご由緒書きです。こちらはとても新しいのですが、細かいです。

神社で立てた駒札です。

神門からずっと直線の道なんですけど、境内の中では斜めになってます。

入ってすぐ左手にある「乃木将軍景仰の碑」です。「徳富蘆花」の兄であるジャーナリストの「徳富蘇峰」の筆だそうです。

手水舎です。

「学習院長時代の乃木将軍」の胸像です。

まさに軍人ですね。第10代学習院長に任じられて、「迪宮裕仁親王(昭和天皇)」の教育係も務められました。

「乃木神社」と書かれた説明板なのですが、字が薄くなって読みにくくなっています。

先ほどの直線道の最後の所を右に曲がると拝殿です。

「さざれ石」です。

「棗(なつめ)の木」です。乃木将軍とロシアの将軍「ステッセリ」が「水師営」で会見し、互いの健闘を讃えあったそうですが、その会見場所の庭にあった一本の棗の木が、「文部省唱歌」で有名になったそうです。この木は、「水師営」の庭に生えていた棗の萌芽を移したものです。

「棗の木」の全容ですが、落葉樹なので今は葉っぱがありません。

その横では梅が咲き誇っています。

良い香りがしています。

拝殿前に来ました。

まずはお詣りです。

ロシアの「ステッセリ将軍」から贈られた白馬「壽(す)号」と、その子馬である「璞(あらたま)号」の神額。

拝殿の左手で黄色い花が満開になってます。ミモザかな?

絵馬ですが、「栗」が書かれていますね。後で理由がわかります。

拝殿前の左手には「勝水」があります。

「乃木神社」には、創建当初から御神水として、「伏見城」の名水と同じ水源の名水である「勝水」湧いており、勝運の縁起水として崇められていました。その後周辺の開発で枯渇していたのですが、平成18年(2006年)に再び掘削したところ、「勝水」が復活しました。「勝水」は、霊験あらたかな御神水として、「病気平癒、元気回復、勝運縁起の水」として崇められています。

で、その横に「全てに勝ちま栗」の祠です。

昔、「勝粟」は戦場に出る武士がこれを食べて出陣したという故事に倣っており、乃木将軍も大好物であったそうですよ。

祠の中に鎮座する「勝栗像」。こういう、粋な神社っていいですね。

さて、こちらには歴史的な資料などが展示されています。

「乃木将軍長府旧邸(復元)」です。

乃木将軍の父「十郎希次」は、槍術及礼法小笠原流の指南番でしたが、幕末の藩政改革案の上申が上級藩士の機嫌を損ね、長府(山口県)に帰り「閉門蟄居」の身となり、足軽の家を借りて住んだそうです。

「十郎希次」は、家庭教育の一環として、毎朝出仕前に必ず一条の教訓を与え出かけるようにしたそうです。

幼少期の乃木将軍は家計を助けるため、近所から頼まれた米を搗いたのですが、ただ搗くだけでなく搗きながら本を読んでいたそうです。

「長府乃木邸」の説明書きです。

その横の建物は「記念館」になっているのですが、日露戦争の際南満州(現在の中国東北部)の「柳樹房」という場所にあった「周玉徳・周金夫妻」の住居を乃木大将が「第三軍司令部」として借り上げ、旅順攻囲戦の指揮を取った建物です。こちらは復元ではなくて、神社建立の時、「村野山人」は現地に赴いて、この建物を「周玉徳」から買い受け、家屋を解体し、土台石などの資材まで一切を運搬移築して「記念館」としたものです。とてもすごい財力ですね。

ちょっと見えにくくなってますが「記念館 日露戦争第三軍司令部」と書かれているようです。

「祖霊神 大本営舎」です。

「記念館」の説明書きです。大正4年7月の駒札です。書いてあることはだいたいわかるのですが、漢字が旧字体なので難しいです。

この達磨達のことは何も書かれていませんでしたのでよくわからないのですが、全てに目が入っていることから負け知らずということでしょうか。

「旅順鳥瞰図」。激戦地となった旅順の絵です。

当時の写真などが展示されています。

乃木将軍の詩が書かれた屏風。

これが中国から運ばれて来たんですよ。う~ん。

その隣は「宝物館」なのですが、もうそろそろ時間切れです。
乃木将軍の長男「乃木勝典」、次男「乃木保典」も日露戦争で戦死しており、乃木希典本人も明治天皇大葬の日、葬儀参列後、自刃して殉死しています。「西南の役」の責、旅順攻囲戦で多くの犠牲を出した責任を取ったと言われています。また、その他の子たちも夭折しているので、野木家としては嫡男がいませんでした。

境内の北の方にある「蒼海に眠る若人の碑」です。

日露戦争当時の装甲巡洋艦「吾妻」の主錨。

「吾妻」は「日本海海戦」にも参加しています。
今回は時間の制約もあって、境内全てを回りきれませんでした。まだまだ見どころはあるので、また訪れたいと思います。
アクセス
- JR奈良線「桃山駅」下車、徒歩10分