班女塚 破談の神から良縁成就の神へ

古典と現在の史跡がリンクする京都

昨日は「繁昌神社」を紹介しました。

今回は「繁昌神社」の前に案内の看板があった「班女塚(はんにょづか)」へ行ってみます。

「班女」というと、室町時代の「世阿弥」作という能(謡曲)の「班女(はんじょ)」がありますが、これとは関係はないそうです。

「繁昌神社」は「藤原繁成」の邸宅にあった「功徳池(くどくいけ)」の中島に、安芸国宮島より「市杵島姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」の「宗像三女神」を勧請したのが始まりですが、鎌倉時代に「長門前司(ながとのぜんじ)」の亡くなった娘を、「班女塚」に祀ったことから、以後、神仏習合となり、真言宗の「神宮寺・功徳院」により管理されることとなりました。現在は神仏分離となり「市杵嶋姫命」をご祭神とする神社となっています。

「班女塚」は「繁昌神社」の旧社地で、現在は境内飛地です。「繁昌神社」の少し西の、「高辻通り」から奥まったところにあります。

では、「班女塚」に行ってみます。

班女塚 No2

マンションや会社の間の通路をずっと奥まで入ったところにあります。

班女塚 No3

どん突きに、いきなり見えてますね。大きな石が。

班女塚 No4

これが「班女塚」です。けっこう大きな石です。後で、起源を書きますが、ここに寝殿造りのお屋敷があり、南西の妻戸口があったあたりになるんですね。

班女塚 No5

塚の石に木が寄り添うように生えています。

「班女塚」の起源については、鎌倉時代の初期に書かれた説話集である「宇治拾遺物語」の巻三の十五「長門前司の娘が葬送の時、本所に帰る事」に書かれています。

「長門前司(ながとのぜんじ)」に二人の姉妹がいました。姉は結婚し、妹はとても若かったのですが、宮仕をした後に辞して家に居ました。妹には言い交わした男性もなく、ただときどき通う人などはありました。やがて父母も亡くなってしまい、家の奥の方に姉が住み、妹は南西の妻戸口(寝殿造の両開の戸)の方に住んでいました。妹にとってはこの妻戸口が常々人に会ったり話をしたりする所でした。妹は未婚のまま、27、28歳頃に病により亡くなってしまいます。
妹の遺体は、妻戸口に横たえられました。遺族は鳥辺野(五条坂の墓地)へ遺体を送ることにします。夜になり、遺体を櫃に入れ墓地に到着してみると、櫃は軽々として蓋がわずかに開いており、妹の遺体が見当たりません。皆が急いで家に戻ると、妹は妻戸口に横たわっています。親しい人々が集って相談し、夜明けに再び遺体を櫃に戻し、今度はしっかりと納め 「今夜こそはなんとかしよう。」と思っていたのですが、夕方になってその櫃を見ると、また蓋が細めに開いていました。とても恐ろしく、なすすべもなかったのですが、親しい人々が 「近くでよく見よう 。」と寄って見れば、棺から出てまた妻戸口に臥しているではありませんか。もう一度、櫃に戻そうとするのですが、今度は遺体が持ちあがりません。人々は、妹がどうしても家に留まりたいのだろうと考えました。やむなく、妻戸口の板敷を外して、床下に遺体を降ろすと、軽々と降りたため、妻戸口一間を板敷きなど除け去って壊して遺体を埋め、高い塚を築いて葬りました。
そうして年月が過ぎ、家族も越して寝殿も朽ち果ててしまいました。高辻より北、室町より西、高辻小路に面した六七間ほどには小さな家もなく、草も生えず、人も寄りつかない所になってしまい、ただ塚だけが一つが残されるようになりました。やがて、その塚の上に神の社を祀ったというそうです。

というのが「宇治拾遺物語」に書かれている「班女塚」の起源です。「宇治拾遺物語」という古典に書かれていることが、現代の京都にいる私の目の前に存在するのです。遺体が勝手に移動したり、重くて動かなくなるなどというのは、非科学的なことですが、それほど結婚に執念を燃やし、熱い思いがあった娘の話が、古典として現代に残り、その言われとなった「塚」が信仰の対象になって、目の前にあるというのは何かしら感慨深いものがあります。

班女塚 No6

このお社が祀られていたお社なのでしょうか。

班女塚 No7

こちらには石碑があります。屋根が建てられているので、何がしかの神様であることでしょう。

班女塚 No9

近づいてよく見てみると「住吉姫松」と刻まれています。詳細は不明なのですが、堅牢な柵に囲まれていることを考えると、何かご由緒があり信仰が深かった石碑であると思われます。もう少し南は「松原通り」ですし、「玉津嶋神社」等もありますので、何か「松」に関係する信仰があったのでしょう。

「班女塚」に由来する「繁昌神社」は、「宇治拾遺物語」の記述などから、古くは縁切りの神様であり、縁談のあるものが近くを通ると破談になると言い伝えがありました。しかし現在は、商売繁盛、良縁成就、悪縁消滅、芸能上達などのご利益があります。

長門前司の亡くなった娘が絶対に結婚したいと思っていた気持ちを、「他の縁談を邪魔する」ととらえるのではなく、「そういう熱い思いがあるなら必ず成就できる」と良縁成就としてとらえると、良い方向の信仰とできますね。

「班女塚」と「繁昌神社」にお詣りして、「商売繁昌」だけではなく「良縁成就」も手に入れてください。

アクセス

  • 京都市バス「烏丸松原」下車、徒歩5分

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