池田屋騒動
池田屋事件とか、池田屋事変とか言われますが、私の世代では「池田屋騒動」というのがしっくりきます。よく似たのに「寺田屋騒動」と言うのがありますが、これは伏見です。池田屋騒動は木屋町です。
時は幕末、場所は京都とくれば、これはもう新選組しかありませんね。池田屋騒動は新選組が主人公です。
池田屋事件(いけだやじけん)は、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。
Wikipedia「池田屋事件」より
その池田屋騒動の時の刀傷が、三条大橋の擬宝珠に今も残っています。なんか、ちょっとかっこいいですね。普段、何気なく歩いている歩道の横にある擬宝珠に、幕末の動乱の記憶が刻まれているんですよ。
旅館・池田屋は今はもうすでになくなっており、飲食店が建ってます。飲食店の店先に「池田屋騒動の址」の碑があります。
場所は河原町三条を東に歩いて2分ぐらいの三条通り北側の並びです。
池田屋址からさらに東へ歩くとすぐに木屋町筋です。ここが三条小橋、高瀬川です。
信号を超えて進むと、目的の三条大橋です。
歩道に沿って歩いてくると何気ない橋にしか見えません。
ちょっと離れて見ると、まあ、それなりに風情がある橋です。
さて、その橋の擬宝珠です。
普通に橋の欄干にあります。
刀傷が残っているのは、北側、南側ともに西(高瀬川の方向)から2つ目の擬宝珠です。
一番西の欄干の端にある擬宝珠は、通りから外れているために数えていません。
その擬宝珠から数えると、両側とも西から3つ目の擬宝珠となります。
北側の擬宝珠
北側の擬宝珠を見てみると、「どこどこ? おー、これか。」と、とても小さいですが、確かに直線的な傷がついてます。
でも、これが刀傷だと教えてくれなくては誰も目にとめないような傷ですね。誰かのいたずらか、後世何かが当たってできた傷としか考えられません。
ちょっと、拡大するとこんな感じです。
さらに拡大して写真を撮りました。確かに細く深く傷がついてて「刀」という感じがしますね。
南側の擬宝珠
今度は南側です。こちらはパッと見てすぐにわかりました。
なんか、誰かがこすったような感じになってますよ。
拡大してみるとよくわかりますが、こちらは2本の傷があります。確かに刀傷という感じの傷跡です。幕末の世に、新しい時代を夢見て男たちがここで戦ったという、とてもロマンあふれる歴史の記憶です。
実は三条大橋の擬宝珠には2種類の擬宝珠があって、天正時代に作られたものと、昭和に入って作られたものがあります。見分けるのは簡単、擬宝珠に刻まれている銘(字が刻まれている)を見ればすぐにわかります。刀傷がある2つの擬宝珠はどちらも天正時代のものです。
三条大橋から鴨川の下流方向を見ます。この景色を見るだけでも値打ちがあります。特に桜の季節は川沿いに桜並木が続くので絶景になります。
駒札にも書かれています。
三条大橋は、東海道五十三次の西の端。昔、ここは京都の入り口となっていたところです。なので、池田屋をはじめ、旅館がたくさんありました。「東海道中膝栗毛」にちなんで、弥次さん喜多さんの銅像もあります。
近くにこられた折には、新選組の記憶に触れてみてはいかがですか。男のロマンが感じられます。
アクセス
- 京都市バス「河原町三条」下車、徒歩4分
- 京都市バス「京阪三条」下車、徒歩2分
- 京都市営地下鉄東西線「京阪三条」下車、徒歩2分
- 京阪電車「三条」下車、徒歩2分