相槌稲荷大明神 ここ入っていいんですかね?

 旧き良き京都

京の七口の一つである「粟田口」は、昔から交通の要所として栄え、いろいろな人々が住みました。そして、産業が栄えたところでもあります。中でも「鍛冶」や「窯業」が盛んだった痕跡が今でも残っています。

「相槌稲荷大明神」もその一つです。とっても京都らしい、庶民的な神社ですので紹介しましょう。

京都市内の観光地を歩いていると、あちこちに道標があるのが目につきます。

相槌稲荷大明神 No2

例えば、上の画像の道標ですが、「三條通 東 大津」と彫られていますね。とっても古そうな道標です。下半分はうっすらと汚れて黒くなってます。

相槌稲荷大明神 No3

ところが、その側面は「左 動物園 黒谷 真如堂」と彫られており、実はけっこう新しいものなのですよ。京都市立動物園は明治36年(1903年)の開園なので、それ以降に建てられたものですね。

その道標から、少し西に行った三条通り沿いに「相槌稲荷大明神」はあります。

相槌稲荷大明神 No4

三条通りの反対側の歩道から撮った写真です。家と家の狭い狭いところに参詣道がありますね。

相槌稲荷大明神 No5

参詣道の入り口には立派な石碑が立ってます。正一位ですね。

相槌稲荷大明神 No6

ご由緒書きがあります。刀匠の「三条小鍛冶宗近」が信仰したお稲荷さんです。「謡曲史跡保存会」とありますように、謡曲の「小鍛冶」は一条院の勅命によって、三条小鍛冶宗近が刀を鍛える話です。稲荷神社の使いである狐の化身の若者が、宗近の合槌(相槌)を打って名刀「小狐丸」を完成させます。

相槌稲荷大明神 No7

入口の鳥居の神額です。濃い赤が力強さを感じさせます。

相槌稲荷大明神 No8

三条通りの反対側から撮った写真では、すぐにどん突きのように見えますが、少し中の方まで続いています。

相槌稲荷大明神 No9

で、そのあと、参詣道は左に曲がるのですが、「ここ通ってもいいんですか?」という家の軒先を連ねた路地を通ります。人と人との行き違いが、少し譲り合いをしなければいけないような細い道で、入っていくのがはばかられます。人様の家の真ん前で、けっこう生活感もあったので写真を撮るのは控えました。

で、静かに道を抜けると「相槌稲荷大明神」の前に出ました。

相槌稲荷大明神 No10

こちらには、石の神額が掲げられています。とても立派なのですが、ちょっと見えにくいです。

相槌稲荷大明神 No12

小ぢんまりとした神社ですが、庶民の生活に溶け込んでいるようで、きれいに手入れが行き届き、新しいお飾りも施されています。

相槌稲荷大明神 No13

神祠もきれいですね。

三条小鍛冶宗近(さんじょう こかじ むねちか)は平安時代中期の刀鍛冶です。藤原兼家に仕えていたのですが、謀議を謀り、薩摩へ流罪となってそこで鍛冶を学んだそうです。その後、罪を赦されて三条粟田口に居を構え、三条小鍛冶と呼ばれました。いろいろな名刀を作成し名工と謳われました。小鍛冶は刀の焼入れに伏見稲荷山の土を用いていました。土を手に入れるその度に稲荷明神に祈願し、寛和2年(986年)、第66代・一条天皇の即位に際して名剣「小狐丸」を製作しました。ここから謡曲「小鍛冶」が生まれたんですね。

相槌稲荷大明神 No14

敷地内には手水鉢らしきものがありますが、水は入っていませんでした。もしかして手水鉢ではなくて鍛冶に関係のある石なのでしょうか。

相槌稲荷大明神 No15

石碑なのでしょうか。お墓なのでしょうか。それとも、これも刀鍛冶に関係のあるものなのでしょうかね。

京都三大祭りの一つである祇園祭の山鉾巡行の際に先頭を行く長刀鉾ですが、鉾頭の長刀は、宗近の奉納したものだそうです。

相槌稲荷大明神 No16

敷地内のお隣には「二ノ富弁財天」が祀られています。こちらもきれいに手入れがされていますよ。

京都の古い町並みには、「相槌稲荷大明神」のような、小さなお社やお地蔵さんがあちこちにあります。今でも、地域の人々によって信仰され、きれいに手入れがされています。市内を散策するときには、ちょっと立ち寄ってお参りしてみてください。京都の生活が感じられますよ。

アクセス

  • 京都市バス「神宮道」下車、徒歩5分