平安宮主水司址 そろそろ季節です

2018年6月6日 近畿梅雨入り

一昨日、6月6日(水)に近畿も梅雨入りしてしまいました。6日はよく降ったこと。朝から晩までこれでもかというほど降りました。昨年は7日が梅雨入りだったそうですから、まあ例年通りというところでしょうか。

6月を「水無月」といいますが、多くの方が思っていたであろう「なんで梅雨なのに水が無いの?」という疑問を、私も小さいころは持っていました。高校で古文を習って「な」が「の」の連体形で「な」になっているのだと知って納得。でもなんで「な」に「無」という字を当てるんですかね?誤解するじゃあないですか。

まぁ、そんなことはどうでもいいんですけど、「水無月」と言えば、「月の異名」よりも「和菓子」を先に思い浮かべるのが京都人です。そらもう、昔から6月の末は「水無月」を食べるというのが風習でして、これはなにも御公家さんの風習ではなく一般庶民もこぞって食べてましたよ。現代では食べる人が減ってるんですかねぇ。

なんで6月30日に「水無月」を食べるのかと言いますと、6月30日は「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」と言って、一年の前半を無事過ごせたことを感謝し、また後半の半年、特に暑い夏を無事に過ごせますようにと、神社にお詣りする風習があります。茅の輪くぐりという儀式を行います。そして平安時代の昔は、この時期に氷を食べると無事に夏が越せるという言い伝えがあって、宮中では氷を食べたそうです。

この暑い時期に氷?冷凍庫もなかったのに?どうやって調達したの?

氷を調達していたのは「主水司」という役所の機関です。今日は「主水司」の跡を紹介します。

さて、暑い時期でも宮中や御公家さんは氷を食べたのですが、平安時代に一般庶民が氷を食べられるわけがありません。なんか氷の代わりになるものがないか? ということで氷に似たものとして「外郎(ういろう)」を食べる風習が広がりました。それも外郎を三角形に切って氷のように尖っている様を表現したものが流行りました。そして普通一般の「外郎」と「水無月」の大きな差は、上に小豆が載せられていること。一面じゅうたんのように小豆が敷き詰められています。小豆の赤い色には厄除けの力があると信じられていたので、「夏越しの大祓」にはもってこいだったのでしょうね。

そういうことなので京都人の「水無月」と言えば和菓子が筆頭で、そらもう子供たちにとってはとっても嬉しい行事なんですよ。

ここからが今日の本題。「主水司」です。「しゅすいし」と呼んでも間違いではないそうですけど、やっぱり「もんどのつかさ」と呼ぶ方がしっくりきます。「主水司」は平安宮の飲料水を司る役所です。そしてもう一つ、とても重要な仕事として氷の調達を掌っていました。当然、冷凍庫がないので夏の暑い時期に氷を作ることができません。東北や北海道に行っても氷を手に入れることができないでしょう。でも、帝の命令となると何とかしないわけにはいきません。そこで「氷室」と呼ばれる氷の貯蔵庫を京都市の北山に作って、冬にできた氷を夏の暑い時期まで保管し、これをまた宮中まで運ぶということを行ったそうです。よくぞ溶ける前に宮中の運べたものですね。帝も大喜びだったことでしょう。

そんな「主水司」は現在の丸太町通りの智恵光院あたりにありました。

平安宮主水司址 No2

丸太町智恵光院の交差点です。昭和53年(1978年)の発掘調査で,この当たりの土地から土器類が出土しました。そのことによって、ここに主水司があったことが確認されました。

平安宮主水司址 No3

ちょっと傾いてますけど…

平安宮主水司址 No4

ここに「主水司」があったのです。主水司もたいへんですね。帝が夏に氷が食べたいというと、真夏の真っ盛りに氷を用意しなくてはならないとか。わがまま言いたい放題に思えるんですけど。

今でも北区の氷室神社には「氷室」の跡が残っているんですよ。そのうち紹介しますね。

アクセス

  • 京都市バス「丸太町智恵光院」下車、すぐ

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