千石荘公園 まさに千石

山に囲まれた京都

今日は京都市右京区にある、ちょっと変わった児童公園を紹介します。

「千石荘公園」という名の児童公園なのですが、場所は地下鉄の「太秦天神川」駅(バス停でもある)の近くです。

天神川通りの三条は、すぐ南側に嵐電の踏切があるので、日中はよく渋滞しています。その嵐電踏切の南側の道路を西に向かいます。西に向かうと割合と広い道なのですが、交通量は一挙に減ります。この道沿いに「西高瀬川」が流れています。

少し歩くと南側に「千石荘公園」が現れます。

千石荘公園 No2

「千石荘公園」の入り口です。そのすぐ横に石碑があります。

千石荘公園 No3

「瑞典 皇太子同妃殿下御台覧記念碑」と石柱に刻まれています。

「瑞典」って誰?

「皇太子同妃殿下」とあるので、皇室の誰?と思ったのですが、全然違いましたよ。「瑞典」っていうのは国名で「スウェーデン」を表すそうです。

スウェーデン ⇒ ズウェーデン ⇒ ズイェーデン ⇒ ズイーテン ⇒ ズイテン(瑞典)

おお!なるほど。(嘘でっせ。)

大正15年(1926年)にスウェーデン王国の皇太子「グスタフ6世アドルフ(Gustaf VI Adolf)」夫妻が来日しました。考古学者であった皇太子は京都に滞在し、京都帝国大学の「浜田耕作」教授のすすめで「天塚古墳」を見学したのですが、その時にこの公園に立ち寄ったそうです

で、その目的というのが「千石船を見学するため」ということだったのですが...

海のない京都市内に「千石船」があるわけないじゃないですか、と一笑に付されそうですが、これがまた実際にあったんですよ。まぎれもない「千石船」が。

「千石荘公園」の北側には「西高瀬川」が流れているので、もしかして昔は「千石船」がここまで来ていた?

いやいや、そんなことはありません。「千石船」を引っ張ってくるなんて「角倉了以」をしてもちょっと無理があります。

実はこの場所には、地元の実業家「篠田幸二郎」の別荘「千石荘」があり、そこで「千石船」を見学したそうです。この千石船「長栄丸」は若狭国と北海道との間を定期運航していたのですが,転売されて大正14年(1925年)に邸内の庭園に移されました。その後、昭和14年(1939年)に庭園と千石船は京都市に寄附され,庭園は児童公園となり,千石船は一般に公開されることとなりました。。

千石荘公園 No4

その時の写真が「千石荘公園」に展示されています。

いやぁ~、ほんとに「千石船」が京都市内に存在したんですね。

残念ながら,戦後になって「千石船」は老朽化し昭和25年(1930年)の台風で壊れてしまい撤去されました。

千石荘公園 No6

こちらは「長栄丸移据の由来」と記された石碑です。

ちょっと読めませんので、京都市のHPより拝借。

長栄丸移据の由来
此船は長栄丸と称して籍を若州遠敷郡に有し表高八
百七十五石実際は千石則ち四万貫目を積載し日本海
の怒濤を蹴つて遠く北海道に定期航海をなし其都度
万円以上の収益を上げたる功労抜群の船なり
抑我徳川幕府の治世には千石積以上の造船を厳禁し
たれば物資供給交通利便の権威者としては千石船を
以て最となしたり明治の中興に至り和船航海の不利
に鑒み三百石以上の和船建造を禁ぜられたれば大和
大型の船は自然廃滅に委するの姿となり当時彼尨大
を以て誇りし千石船も近き将来に於ては全く其影を
没するに至るべし想ふに我京都の如き四方皆山の地
にありては船舶を見ることすら罕なるをまして千石
船の如き其実際を知ること最も難し余適々長栄丸を
見其雅趣の津々なるを愛す而して其船主の他に移ら
んとするを聞き若し此船を陸に上げ其命を保たしめ
ば一は船の偉績を存し一は市人の参考に資するを得
んと終に進んでこれを求め此地に移据することゝは
なりぬ乞ふ曳*の士よ余が徴衷を酌み船を山に登せ
し愚挙をして徒為たらざらしめ賜はんことを
大正丙寅仲春
清水庵の主人誌す

実業家の道楽ではなく、人々の生活を支えてきた文化としての船を後世に伝えたいという思いはとても立派ですね。当時、山に囲まれた京都では大きな船を見ることなどなかなかできない体験であり、市井の人々に開放したということがまた良いことですね。

千石荘公園 No5

明治天皇の歌碑があります。

明治天皇御製
港江に万代よはふ声すなり
功を積みし船や入来る
伯爵東郷平八郎(花押)
謹書

と刻まれています。この歌が詠まれた背景については不明ですが、千石船のことを詠んだ歌のようです。

千石荘公園 No7

こちらは明治天皇の歌碑の裏側です。

「千石荘公園」はきれいに整備されている、どこにでもあるような児童公園ですけど、このような歴史がこの地にはあったんですね。「篠田幸二郎」という実業家について調べてみましたが、あまり情報がありませんでした。でも太秦近辺では石柱に名前が見られるようで、色々なところに寄贈をしていたようです。

私もグスタフ皇太子と同じように「天塚古墳」を見に行きましょう。近々報告します。

アクセス

  • 京都市バス「太秦天神川」下車、徒歩5分
  • 京都市バス「猿田彦橋」下車、徒歩5分

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする