千手寺 獨鈷抛山(亀岡市)

またまた読めない...

今回は京都府下の亀岡市です。それもお寺。

お寺の紹介が少ないんですけど、それは金銭的理由。有名どころは拝観料なるものを徴収されますので、おいそれとは拝観できません。ほんでもって、拝観したとしても撮影禁止ばかりで興味がわきません。ま、維持していくのにお金がかかるから仕方がないのでしょうけど、頻繁にあちこちのお寺を訪れるほど小遣いがないので、ここ一発のときにしか拝観できません。

で、そうなると訪れるのは拝観料のかからないお寺。檀家さんが支えている、重要文化財とかがない、あまり有名でないお寺。こっちの方が人が来なくて静かでいいんですが、長居をして写真を撮るのも気が引けるので、結局はお寺を訪れることはあまりありません。

んで、今回は新型コロナウィルスのため、不要不急の外出はあかんけど、散歩は良いよと言われていたゴールデンウィーク中に訪れた「千手寺」を紹介します。

「千手寺」という名前のお寺はけっこうたくさんあるようで、大阪や滋賀にも「千手寺」があります。京都府には京丹波町にもありますので、念のため。ほんでもって「獨鈷抛山」、よめませんよね。「とこなげさん」と読むそうです。「独鈷」というのは、密教で使う仏具で両端がとがった金属の短い棒です。「独鈷杵 (とっこしょ)」ともいうそうです。 これはお寺の縁起に非常に関係のある名前となっています。後ほど紹介しましょう。

ゴールデンウィークは5連休という普段はなかなか取れないような長い休みでした。緊急事態宣言も出たいたので、公共交通機関を使ったような外出はやめて、あちこち散歩していました。そんななかで「そういえば、山の上にお寺があったな...」と思い出したお寺をWebで調べると、何とか歩いて行けそうな距離なので、天気の良い日に山歩きを目的に訪れました。それが今回の「千手寺」です。

では早速、行きましょうか。お寺にも駐車場があるので車も停められるのですが、公共交通機関ではJR嵯峨野線「並河駅」から京阪京都交通バスのF51系統に乗って「鹿谷とこなげ口」で下車するとすぐに登り口です。

私は徒歩で亀岡市の「薭田野町鹿谷(ろくや)」を目指します。「鹿谷」には昔「大谷鉱山」というタングステンの採れる鉱山がありました。現在も当時の面影が少し残っています。道を歩いていると、集落の最後の辺りから徐々に道が上り坂になってきます。

千手寺 No2

お、なんか見えてきましたよ。

千手寺 No3

「獨鈷抛山 千手寺 参道」と立派な石碑が立っています。道は間違ってないようです。

千手寺 No4

動物除けのゲートがあります。昼間は開けてて夜になると閉めるようですね。

千手寺 No5

お寺まではこんな舗装路が続いているのですが...

千手寺 No6

昔の参拝路が残っているので、こちらを歩きましょう。せっかく山歩きに来たんですからね。「とこなげ古道」と名前がついているようです。

千手寺 No7

アスファルトと違って歩きやすいですよ。

千手寺 No8

昔は多くの人が訪れたのでしょうか、石畳になっているところもあります。

千手寺 No9

石垣がたくさん残っています。

千手寺 No10

お、なんか壊れていますね。奥の方にもお堂のようなものが見えます。

千手寺 No11

落ち葉が溜まっています。

千手寺 No12

中にはお不動さん。

千手寺 No14

また山道を上がっていくと、木々の間に大きな灯籠が出現。

千手寺 No13

きれいな緑の中、ゆっくりと登って行きます。

千手寺 No15

と、いきなり駐車場に出ました。先ほどのアスファルトの道を上がってきてもここに出ます。

千手寺 No16

この上かぁ...ま、仕方ないので石段上ろ。

千手寺 No17

登ってくると、あれ? なんかデジャヴュみたいな風景。今、確かに登って来たよな、石段...

千手寺 No19

振り返ると確かに登ってきてます。

千手寺 No33

ま、お浄めして...

千手寺 No18

登ります。

千手寺 No20

秋の紅葉時期には絵になりそうな感じですね。

千手寺 No21

や、登り切りましたよ。大きな楼門が迎えてくれています。

千手寺 No22

「千手寺」の縁起が書かれています。

獨鈷抛山 千手寺   臨済宗

大同二年(八○七)弘法大師空海により開創された千手寺の縁起によると、弘法大師が渡唐の途上、暴風雨で難破しそうになった時、観音菩薩に立願し、大望成就したならば尊像を刻すると誓い、無事唐に着きました。さらに恵果和尚から密教法儀の伝授を受けて帰朝に当たり、「密教流布相応の勝地にとどまるべし」と言って独鈷杵を投げると、宙に消えました。帰朝後、奈良春日大社に参籠して独鈷の行方を尋ねたところ、春日明神が示現し、「丹波国山内壮の北峰、娑婆山の松の枝にある。道を教えるからその地に千手観音を造立せよ」と告げました。このお告げに従い大師が麓まで来ると、春日明神の使いである白鹿がこの地の松にかかっている所まで導き、谷に消えました。以後この地を鹿谷、山号を獨鈷抛山と呼ぶようになりました。また、大使は、香木を用いて一刀三礼して千手観音を刻み、安置したことが千手寺の始まりです。
その後、戦火により廃寺となりましたが、応永十年(一四○三)、鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、止菴和尚が来住して、臨済宗寺院として中興されました。
また、地元の猟師が霊場の峰に毎夜怪光が現れるのを、狐狸の仕業と宇疑いこれを射たところ手ごたえを感じ、翌朝、血の跡をたどると矢は千手観音の左目に立っていました。猟師は、罪を懺悔して末代まで弓矢を捨てることを誓いました。以後この千手観音は、眼病に御利益があるとされ、四月十七日、七月十七日の縁日には、多くの善男善女の参詣が絶えません。

千手寺 No23

こんなに離れたところに「愛宕研究会」の看板が立ってます。説明によりますと、ここの「鐘楼門」はもともと愛宕大権現「白雲寺」の門だったのですが、明治政府の廃仏毀釈で離山になり、明治3年に「千手寺」に移築されたそうです。

千手寺 No24

仁王さん。

千手寺 No25

ガラスと網越しなので見にくいですね。すんません。

千手寺 No26

見上げると鐘がありますね。確かに「鐘楼門」です。

千手寺 No27

境内に入りました。なんか工事中ですね。

千手寺 No28

こちらが本堂でしょうか。

千手寺 No29

正面の戸は開けられていますが...

千手寺 No30

網があって中には入れません。残念。

千手寺 No31

「鐘楼門」の裏側には昔の鬼瓦が保管されています。

千手寺 No32

良い景色ですね。霧が出た日には雲海となって見えるとのことです。こういう景色を見ると、登ってきて良かったなぁと実感できます。

千手寺 No34

「千手寺」の前から左手の方に行くと「瑞巌寺」の方に行けますし、右の方に行くと「行者山」の方に行けます。

JR並河駅からは少し離れているのですが、歩いていけない距離ではありません。のどかな田園風景を見ながら歩いてもいいと思います。京阪京都交通バスは本数が極端に少ないのでご注意ください。

アクセス

  • JR嵯峨野線「並河」下車し、乗換、京阪京都交通バスF51系統「鹿谷とこなげ口」下車

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