湖から開拓地に
京都市内には「松尾大社」という「秦氏」が創建した神社があります。
「大社」とあるぐらいですから、こちらはとても有名でガイドブックにも絶対載ってるようなメジャーな神社です。
で、この「秦氏」の勢力下であった丹波地方にも同じ名前の「松尾神社」がいくつか存在します。この全ての「松尾神社」が「秦氏」の創建であるかは資料などがないところが多く不明ではありますが、何らかの関係があったということは明白でしょう。
私の住む亀岡市にも「松尾神社」はいくつかあるのですが、今回は亀岡市旭町にある「松尾神社」を紹介します。訪れたのは今年の1月です。
昔々、亀岡は湖であって、「秦氏」が保津峡を開削して水を抜いたので今のような盆地になったという話がります。亀岡にある複数の「松尾神社」も盆地の真ん中ではなく、周囲の山の山麓や山間部に鎮座しています。旭町の「松尾神社」も山麓なのですが、少し山の中に入ったところに鎮座しています。
さっそく現地です。
地図で見ると「松尾神社」の手前に池があるのですが、池の土手に上がる道の手前に、通行の邪魔にならないようなスペースがあったので車を停めさせていただいて参詣しました。
池の土手に上がるとどん突きに鳥居が見えます。あそこのようですね。
池の端には獣除けのゲートがあります。この中に車を停めさせていただいてもいいのかもしれませんが、池の土手の登り口がとても細いので、軽自動車でないと上に登るのは苦労しそうです。(サイドをこすりそうになります。)
ゲートをきちっと閉めて、さぁ参拝しましょうぞ。
「延喜式内 松尾神社」と立派な石柱です。
本殿は室町時代のもので京都府の登録文化財になっています。
「亀岡の自然100選」にも選ばれていますね。
私が訪れたのは1月半ばでした。正月の注連縄かな。
山の中にぽつぽつと石段が続きます。
ぽつぽつと...
続きます...
やっと神門が見えました。けっこうな距離ですね。でもなだらかなのでそんなにしんどくないですよ。
境内に到着です。
立派な石の神額ですが、地面に置かれています。重いし設置が難しいのでしょうか。取り付け場所の「木」の方が弱くなって、石の神額が落ちてきたらちょっとやばいですね。
静かな境内です。冬、1月なので誰も来てません。
えらいこっちゃ、とうとうデジカメのバッテリー交換マークが常時点くようになりました。
替えのバッテリー持ってきてません。(きっぱり)
もう10年使ってるバッテリーなのでそろそろダメかな...急いで写真は撮りましょう。
ご由緒書きがあります。
松尾神社(旭町)
三郎ケ岳の山麓に位置する当社は、大山咋命 と市杵嶋姫命の二柱を祭神として祭る。
社伝等によると、秦川勝が聖徳太子の命を受 けて、佳処である当地に祀ったことに始まるといわれ、平安時代の書物である「延喜式」にも 記載された古い社である。
古昔は、近村も含めた氏神として境内にも多くの建物があったと伝えるが天正年間(一五七三~ 一五九二)の明智光秀の丹波進攻による兵火により焼失し、わずかに現本殿だけが難をのがれたという。
本殿は、一間社流造檜皮葺の建物で、明応七年 (一四九八)頃に建られたものである。 身舎組物は三斗組とし、頭貫端を肘木状につくり三斗を受ける。側面は二間で妻飾りを叉首組 とする。なお向拝の桁より下と縁廻りが江戸時代以降の改変によるが、他は軒まわりも含めて室町時代の姿をよくとどめている。
昭和六十年に本殿が府登録文化財に、また境内及びその周辺が府文化財環境保全地区に決定された。
この水は「三郎ヶ岳」からの湧水で「お滝」と呼ばれていて、どのような旱魃の時にも流れが絶えたことがないと伝えられています。
拝殿です。
本殿は拝殿から一段高いところに鎮座しています。
本殿にお詣りしましょう。 バッテリー、×マークで焦ってます。水平が崩れていますね...
本殿です。
ごっつい鈴ですよ。こりゃあ、神さんにしっかりと音が届きそうですね。
「松尾神社」の神額です。 実は16㎜という単焦点の広角レンズなのでこれ以上大きく写せません。
本社は明応7年(1498年)に造られた一間社流造で、屋根は檜皮葺ものらしいのですが、覆屋の中にあるので良く見えません。
ご祭神は「大山咋命 (おおやまぐいのみこと)」と「市杵嶋姫命 (いちきしまひめのみこと)」の二柱をお祀りしています。この二柱は保津峡の入り口に鎮座する「請田神社」と同じご祭神です。
写真では見にくいかもしれませんが、「開拓治水土木建築」とあります。「秦氏」といえば、大陸の技術を用いた保津峡の開削や灌漑用水の治水で有名ですね。それと「松尾大社」もそうなのですが「酒」の神様です。上には「特に酒その他醸造の祖神」とあります。
本殿の周りには摂社や末社がいっぱい鎮座しています。
「今宮神社(ご祭神:素戔嗚神)」です。
「稲荷神社(ご祭神:宇賀之御魂神)」です。
電池がやばいのでとりあえず写真を...
「天満宮社(ご祭神:菅原道真公)」です。
「蛭子神社(ご祭神:恵比寿神)」と「大己貴神社 (おおなむちじんじゃ:ご祭神:大国主神)」です。
まだ石段があります。石段の上は薄暗くてちょっと神秘的。
こちらにも摂社がずらっと鎮座してますよ。
「罔象神社 (みずはのめじんじゃ:ご 祭神:罔象女神)」と「高房神社 (ご 祭神:経津主神・武甕槌神)」です。
「素戔嗚神社(ご祭神:素戔嗚神)」と「天照大神社(ご祭神:天照大神)」です。
こちらは「八幡神社(ご祭神:応神天皇)」です。
この辺りも明智光秀公の丹波平定時に兵火に焼かれた地域ではありますが、多くの神社が焼失した中で「松尾神社」の本殿だけは戦禍を逃れて現在まで残っています。以前は本殿以外にも施設があったようですが、今は石段の長い参詣道だけが残っています。
なので、これほど多くの摂社や末社が集まっているのかもしれませんね。
それと拝殿に飾られている絵馬の一枚です。「武運長久」と書かれています。真ん中に描かれているのは戦艦「三笠」上の「東郷平八郎」大将でしょう。よく似た絵をあちこちで見てますよ。
さて、しっかりと参詣しましたので帰路につきます。
なんとか最後まで電池が持ちました。害獣除けのフェンスを出たところで振り返って一枚撮ろうとしましたが、その時にバシャっとシャットダウン。残念。
社伝によると「松尾神社」は和銅年間(708~715年)の創祀とされていますが、境内の案内板には「聖徳太子の命を受け秦河勝が創建した」とあります。もしそうだとすると「松尾神社」の創建も600年頃にさかのぼるのではないでしょうか。「秦河勝」という人物は誕生も死没も不明なのですが、「用明天皇」→「崇峻天皇」→「推古天皇」→「聖徳太子」と仕えた人で、「聖徳太子」は622年に亡くなっているようですから、もしかすると「松尾神社」ももっと古くから存在したのかも知れませんね。
光秀公の丹波平定のときにはあちこちで戦が起こり、村はもとより神社まで戦禍に巻き込まれるということが多々ありました。なので、古くに創建された神社も、本社はそれ以降の比較的新しい時代のものが多いです。たくさんの神社が鎮座する口丹波は京都市内からも近いことですし、またあまり知られていないマイナーな神社の中に歴史的、文化的に興味を引かれるような神社もありますので、ぽちぽちと散策してみてはいかがでしょうか。
アクセス
- 京都縦貫道「千代川IC」より